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今年度最後の日

2011/03/31(木)

 今年度も後一日となった。四役会議には新年度の副院長も参加して、明日からのいろいろな体制について相談した。まあまあ前向きな話しができた。いよいよ私の任期も一年となる。最後まで私も前向きで行きたいと思う。

 支部の局長から電話あり。四月後半から5月の救護班のお願いをされた。お願いではないか。命令と考えるべきだろう。一つはゴールデンウイークにまともにかかっている。密かに私の出番かとも思うがまずは静かにしておこう。

 一週間後の 薔薇の騎士 が 公演中止と今頃メールがきた。私は医学総会に出席するさいに、みるつもりでいた。総会は中止になったので、どうしようかとは思っていた。公演できないのは、分かりきっていたことだろうに。ただ4月下旬に上京するときは上演されるようで、切符の変更も可能なようだ。よく考えてみよう。

 今日は早く帰宅して、明日の入社式の挨拶の準備とオリエンテーションのパワーポイントの準備をしている。





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ドクターヘリ報告会

2011/03/30(水)

 夜、講堂で今回の震災に救護のため、花巻空港へ派遣されたドクターヘリの報告会があった。これは,先日消防等を対象にグランドホテルで開催した会を院内向けに開催したものである。多数の参加があった。前回私は全部を聞けなかったので、今回は全容を知ることができた。今全国で活動している25機のうち15機が集合して、活躍したとのこと、またドクターヘリの効用について、認識を新にした。病院の職員は勿論のことだが、航空機会社のご協力は素晴らしいもので、渡し~も心からの感謝を伝えたいと思う。

 昼、専門看護師を目指している、看護師の面接あり。素晴らしい才能を持った、看護師がたくさんいることに驚いた。頑張って欲しい。次に続く人々のためにも病院としても大いに応援して期待したい。

 救護班は釜石に着いて、行動を開始したようだ。各自が自分達の安全にも留意しつつ、満足のいくような活動を望みたいものだ。
 



救護班出発

2011/03/29(水)


 昼に病院正面から救護班が出発した。職員が多数集まって、盛大な見送りだった。無事に帰還することを願う。
 旭川→函館→秋田→釜石 という往路も大変だ、復路は  釜石→青森→函館→旭川  ということでこちらの方がもっと心配になる。使用する車があまり高級ではなく、帰りの函館から旭川は非常に気の毒な感じがする。何か手を打つことが必要ではないだろうか。たとえば運転要員として誰かを飛行機で函館まで迎えにやるといった大胆なことも考えても良いかもしれない。

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写真提供 読売新聞 石原氏



  

 4月中は誰かしらが、被災地に赴いているといった状態が続くようだ。快く参加してくれている職員には深く感謝しなければならない。

 夜またグランドホテル 四季 で  公的4病院長会議 が開催された。今回は医師会長を送別する会でも有った。
 会長が来られる前にちょっと相談をして、この会議も今後は、4人の病院長のみで開催することにした。医師会が必要とするときには会長名で医師会が我々を招集してくれれば良いことだ。医師会とは関係の無い話をすることも多い訳では有るし、、、、、次回は夏。厚生病院の院長の当番とした。

 ここ数日間、かなりの深酒が続いている。明日は必ず   休肝日  としよう。 


 

送別会

2011/03/28(月)

 夕方の対策会議でかなり過密な救護班とか要員の派遣を決定した。何かの縁で赤十字の職員になったわけで、ここは職員各自の奮起を期待したい。病院としてもせめて大きな病院の、底力のあるところを見せたいと思っている。
 私からも、要望が有ったら二年目の臨床研修医を救護班に同伴させる案も提案した。研修医は道内の救護訓練にも参加してもらっているのだから、これは実現させたい。

 夜、旭川グランドホテルで、副院長の一人と事務部長の送別会あり。送るというのはとにかく淋しいことだ。二人には並々ならぬお世話になった。幸い二人ともまだ病院との繋がりは解けないので、今後ともお付き合いをよろしくお願いしたい。

 あと数日で今年度も終了する。昨年の今頃と比べると、入院患者が50人以上多い。これは今年度の黒字決裁は大丈夫ではないだろうか。まさかこのご時世では、紅白の餅を配るということもできないが。





孫の誕生日

2011/03/27(日)

 孫の9回目の誕生日。夕方から、皆で押しかけてお祝いをした。兄の誕生日なのに下の孫まで張り切ってしまって、一緒にケーキのローソクを吹いたりしていた。
 弟の方にちゃんといろいろと購入して、準備をしていたが、やはり主役の兄の方に当たる率が多い。皆の関心もどうしても兄の方にいくものだから、少しご機嫌は斜めだった。
圧巻は兄が欲しがっていたゲーム機を買ってあげたが、そのソフトの小さな包みが自分のだと思い込んでいて、開けてみて違ったときのがっかりの仕草がまた可愛かった。VIDEO に収録したので、家に帰ってからも何度も妻と見直した。

 この孫達のためにも、平穏な社会が続いて欲しいと思う。

 午前中に、お世話になった昔の上司のお見舞いに妻と大雪病院に出向いた。幸いお元気で安心した。
Hemiaopia があるようだが、まだ医師は続けられそうだ。今のところ私は肥満の他はいたって健康だが、やはり注意が肝要だとまた思った。

 明日からまた現実に立ち返っていろいろと仕上げなければならない。送別会も続く。
 




 

旭川市医師会代議委員会

2011/03/26(土)

 午前中に免許証講習所を予め確かめてみた。昨日申し込みを教習所は事務所とコースとが違う場所にある。そのコースは旭川市郊外の鷹栖町というところにある。ここは農業中心で恵まれた経済状態と環境の土地である。一昔前私は訪問診療で何回か尋ねたことがある。行きは30分帰りは繁華街を迂回して25分で往復することができた。鷹栖はまだ雪の中だった。

 午後、石巻に応援に行っていた看護師が帰旭した。私は病院の玄関で出迎えるつもりだったが、途中ででんわがあり、飛行機の出発が遅れたという。午後2時から医師会の代議委員会と総会があり、残念ながら失礼をした。

 副会長としての私にとっては最後の代議委員会と総会がロワジールホテルで開催された。その後の懇親会にも参加して解放感からか結構飲んでしまった。

 いろいろとお世話戴いた先輩医師の入院の話しを聞いた。なにが或るか分からないものだ。







派遣の要請

2011/03/25(金)

 次年度の体制についての、懸案事項を不本意な形ではあるが、解決したことにした。いろいろな思惑も錯綜していて、これは遺恨も残りそうだが。

 午前中、ちょっと病院を抜け出して、運転免許講習所に行った。
山添自動車学園。受付終了。キャンセル阻止のための仕組みのようだが、まあ仕方がないか。受講日は4月8日。会場は鷹栖のはるか山の奥のようで一度下調べが必要のようだ。30分もあれば到着するだろうが、、、

 昼、医師会連絡会議。これでもう医師会館を訪問することも無くなった.少し淋しい感じがする。職員には明日代議委員会でもお会いするので、敢えて挨拶はしなかった。

 夕方、業務連絡会議あり。今年度のほぼ目的達成の御礼と来年度の医療の質の改善への取り組みをお願いをした。新年度に各部署が行う集会でに私を呼ぶように伝えた。
 新年度の病院の方針を私が直接部署毎に、全職員にお話しようと思っている。また、いろいろと職員が病院に対して普段思っていることを聞く良いチャンスでもある。

 救護班とか看護職員の派遣の要請がかなり又きている。できるだけ、協力の努力をすべきだと思っている。

本日は好天気だったので、ようやくドクターヘリが当院の屋上のヘリポートに長時間に渡って係留していた。上にドクターヘリの姿が見えると私は何となく安心した気持ちになる。





ドクターヘリ事例検討会

2011/03/24(木)

 夜、グランドホテルでドクターヘリの事例検討会が開催された。北海道医師会の担当常任理事もわざわざ出席を戴いた。今回は東北関東大震災に花巻空港へ出向いた、道北ドクターヘリの発端から結果までのおのおのを当院の関係職員が発表した。管轄区域外への派遣でもあり、航空機会社との契約の問題等々内容は豊富だった。これは素晴らしい内容だったので、職員向けにもぜひ開催して欲しいと思った。

 救護班の当院としては第二次の派遣要請がきた。その他にも、まだ埋まっていない期間があるということで、できるだけ当院でカバーしようという相談も行った。
 原発のほうは一進一退の状態だ。水道、野菜汚染と少しずつ影響は広がっている。最終的にはきっと何とかなるとは信じてはいるが、原発はもうこりごりだ。

 のど元過ぎれば、、、ということにならないように,国民の一人一人が強い意識を持たなくてはならないと思う。

 院内的には次年度の体制について、悩みが深い事柄が続けて現れて頭が痛い。




小康状態

2011/03/23(水)

 今日も小雪模様。これが終われば本格的な春になるだろう。東京あたりではそろそろ桜が満開ではないだろうか。

 地震の対策会議は毎日午後5時から開催している。今日は大きな話題は無かった。派遣した看護師たちは元気だという電話が届いたというし、突発的な派遣要請もきてはいない。彼女らは土曜日に戻ってくる。もう少し旭川のような大規模病院を活用してくれても良い感じもする。北海道の10病院が均等にというのはきっと不公平なことではないだろうか。
 幸い、医療機器、薬品の不足はまだおきてはいないようだ。

 高齢者運転免許更新講習会  なるものの案内がきていた。高齢者という言葉が身に降りかかって,否が応でも、年齢を実感されられてしまう。これに負けたら私の不幸でもあるし、病院の不幸でもある。少なくとも現役でいる間はしっかりと前を向いていたい。
 この講習会の件で運転免許講習所に電話をしてみた。すごい混みようと言う噂だったので、講習所一覧の後ろの方から電話してみた。なんと2週間後に予約が成立した。きっとキャンセルが有ったのだろう。

 夜、 神楽にある  旬鮮かぐら という居酒屋で,先輩の医師と会談。来年度の体制について相談。いろいろと思惑が絡むが、とにかく来年度一年間 限定で嘱託勤務をお願いした。自分のことにも関係するので、どうも話しを纏めにくい。
 医師確保手当の件で、或る科の医師全員に手紙を渡した。なかなかお金の話しは面倒なものだ。




救護班顔合わせ

2011/03/22(火)

 少し雪模様。午前中、次期事務部長が引継業務のため来院。私は数年前に仕事の上で辛い時期にすっかり彼に助けてもらった。当時は副事務部長だったが、最後に一緒に仕事ができるのは非常に嬉しいことだ。ようやく念願がかなった。

 午後、今月末に救護班として派遣される職員の、顔合わせがあった。激励と御礼の挨拶をした。皆、自分の意志で自発的に応募してくれている。本当に素晴らしい事だと思う。いちじよりは改善したとはいえ、まだ不便な事だろう。釜石の救護所に赴くことになっている。
 実のところは、私も参加したいところだ。

 夜、管理会議あり。何とか今年度は黒字決裁になりそうだ。今後は、何とかではなくて悠々と言った具合にもってはいきたい。

 私にとっては医師会の最後の理事会あり。後は金曜日の決裁、土曜日の代議委員会ですべて終了だ。副会長の4年はそれなりに意味があった。
  だんだん仕事が減っていく。後一年はきっとものすごく早く過ぎることだと思う。妻などはこのゴールデンウイークには院長室の荷物整理を始めると言っている。



北海道医師会代議委員会

2011/03/21(月)

 朝、9時前にホテルをでた。新装なった  札幌駅から大通りまでの地下街  というよりは  地下通路 を歩いてみた。広く立派だが,回りには何も店もなく、非常に疲れた。歩きにくかった。将来はどういうかたちになるのかはしれないが、何か壮大な無駄という感じがした。北1条の地下駐車場と同様な何を想定したのか不明な施設のようだ。

 道医師会の代議委員会。選挙もあって盛り上がったが、私は諸般の事情で、昼食後退席させてもらった。午後2時前には札幌を出て,順調に約2時間で旭川に帰ってきた。

 夜、被災者の方々には申し訳ないとは思ったが、孫達と一緒にグランドホテルの桃園で中華料理。おいしかったが、酒を飲み続けている。明日は 休肝日 にしよう。

 これからの一週間。世の中は良い方向に動いてくれるだろうか。





札幌

2011/03/20(日)

 札幌。夜中に起き出して、午前1時から4時間かかってようやくレポートを完成。不満だらけではあったが、とにかく添付ファイルで送った。ほっとして清清した。いつものことだが、この時期がいつもいやだ。もう辞めにしたいと思ってしまう。

 今日はいちにちのんびりとした。ホテルをJRタワーホテルに変更。車は駐車場が面倒なので、一日目のホテルにそのまま置いた。私はホテルお温泉にはいったり、テレビを見たりして暮らした。孫と遊ぼうと思って,将棋盤を購入。なんと将棋の駒に動かせる方向を図示したのがあり、これは良いと思い手に入れた。

 病院に連絡をとってみようかとは思ったが、本社の流れはメールが流れてきているし、敢えてしなかった。それでも、携帯がつながらないと困るのでいつもチエックしつつ行動はした。映画を見ようかとも思ったが携帯電話を止めるわけにも行かず、途中で鳴っても迷惑をかけるので、結局は映画館には入らなかった。





石巻への見送り

2011/03/19(土)

 朝食後、8時に自分の車で家を出た。8時半前には旭川空港へ着いた。空港はガラガラ。さすがに旅行を控えていると思われる。
 当院の看護師三人の激励。彼らは石巻日赤の診療支援に赴く。彼の地はまだ大変なようだ。昨夕私が退院したあとに本社から、石巻病院の患者食への援助の依頼がきたという。幸い、副院長、福事務部長でかなりダイナミックな対応をしてくれたようだ。しかし、何となく釈然とはしない話である。

  ドクターヘリの再派遣の話しは、ちょっと経過をみるようだ。それもそれで結構だと思う。

 午後から妻と札幌へ。本当は明日一日だけ札幌へ泊まる予定だったが、原発を気にしてもいらいらするし、取り立てて旭川にいなくてはならない感じでも無かったので、久しぶりに旅行とした。宿泊をどうしようかと思ったが、ちょうど以前に 一休 で札幌パークホテルの特別室を安く販売したのを購入していた。当日に空室を探しても無いだろうと思ったが、念のため確かめると空いていた。

  携帯片手に、何時鳴るかとおもいながらのドライブだった。札幌の雪の多さに今更ながら驚いた。高価な筈の部屋は、感激するほどのことでは無かった。ただ中島公園が眼下に見え、私が育った山鼻の方面が望める。それのみが懐かしかった。
 妻が義妹とデパートに買い物へでかけてるが、私は付き合わずに専らレポート書き。今日中に仕上げて明朝にはとにかく送らなくてはならない。
  

原子力発電所

2011/03/18(金)

 福島原発について少し楽観的風潮になっている感じがする。TWITTER その他のメデイアにもいろいろと意見や解説が流れている。

   



 どれを信じて良いのかは判らないが、パニックのことを考える少しずる甘めに書きたい気持ちも判るが、、、、後で責任問題が勃発するだろう。管さんのせいにされてしまうのだろう。いずれにしても、すっかり落ち着いた時点では一度責任をとる必要はあろうが、、、

 ドクターヘリに再度要請があって、契約会社等の問題が解決するのであれば、応じることにした。思わぬところで、真価を発揮するものだ。
日赤の薬剤師会をとおして、石巻日赤への薬剤師の支援の要請もきている。MEもエントリーすることを病院として了承した。医療チームへの応募が医師からも多数寄せられてきた。ありがたく,又嬉しく頼もしく思った。

 明日、看護師3人のチームが石巻へ向けて出発する。空港まで見送りに行く予定になっている。

 昼、医師会の連絡会議。ここでも災害救援派遣チームの話題がでた。医師会の仕事も来週で終了だ。
やはり少し淋しい感じがする。この4年間良い経験だった。私は前向きに捉えている。





未曾有の災害

2011/03/17(木)

 相変わらず福島原発は改善する兆しはない。いったいどうなって終息するのだろう。最悪の場合、チェルノブイリの経過をとることも考えられる。日本の本当に一大事だ。テレビをみていても、不安感と焦燥感にかられてしまう。自分がなにをできるということではないけれど、若いひとびとや,私の孫達に悔いの無い人生を残してやりたい。

 病院はあまり特別の出来事はなかった。午後5時からの対策会議も続いている。薬剤師、歯科医師の対応を求めるメールも来ているようだ。どうも本社や支部も対応が一元化ができていないようで、情報や要求が錯綜している。批判することはできないが、、、

 院長連盟のホームページ が多いに真価を発揮している。事務の U嬢 が八面六臂の活躍をしている。帰る暇もなく頑張っているのでないだろうか。改めてお礼を伝えたい。

本社が招集する会議は全て中止となるようだ。施設長会議はなくなるが、院長連盟の臨時総会をどうするかはまだ結論がでてはいない。少なくとも役員会は絶対必要だと思ってはいるが、、、




予定は大幅に変更

2011/03/16(水)

 地震の方は相変わらず改善はないようだ。特に、原発に関しては連鎖的に悪い方向にだけ向かっているようで、暗澹たる気持ちになる。本当は、もう打つ手はないのではないだろうか。後は住民の素早い退避・移動だけしか方策は残っていないはずだ。きっと常磐線はおろか東北新幹線も設置し直しが必要になるのではと心配になる。

 当院の派遣は看護師三人が今週の土曜日に出発。一週間の予定で石巻の日赤に診療の応援に行く。私は空港に送りに行くつもりだ。支部からの要請の救護班は今月末に釜石地区に赴く予定になっている。

 今のところは任務に危険性は無いがこれが、何かを危惧される状態になったら、職員を選抜するのも責任がある作業になってしまう。そういう事態まではおちいらないことを切に願うのみだ。

 それにつけても、つくづく赤十字の職員は立派だと思う。災害の救援に行くのを自ら希望する職員が多い。

 当たり前の話しだが、来週の本社がらみの詰まった予定が全て中止となった。二回の東京往復をキャンセルした。すっかり楽になってしまった。4月の院長会議も中止となった。4月のサーベイの予定はどうなるのだろう。




ドクターヘリ帰院

2011/03/15(火)

 ドクターヘリの一行が戻ってきた。午後5時半、薄暗くなってはいたが、当院のヘリポートに無事着いた。カウンターで被爆の無いことを確認するというある意味では恐ろしい事態になっている。当院の医師、看護師は元気だった。機長や整備士の方は赤十字とは本当は無関係なわけで、申し訳なく思って、かつ感謝している。

 勿論今回は放射能に関しては何ら異常はみられなかったが、原発事故に対する医療班の出動を命じられたら本当はどうしたら良いのだろう。専門家などはいないわけで、単に除染の仕事なら誰でもできるわけでもあるし、、、ただ、危険性は救護班とは大違いなような気持ちがする。住民の方は避難はし終わっているわけだが、行政は形を整える意味でも、要請はあるような感じだ。私が行かないとと駄目ではなかろうか。

 学会の開催中止が相次いでいるようだ。医学会総会も中止の案内がきた。来週のワークショップも中止となった。そうあるべきだ。ただ私はいまのところ本社に出かけける用事がある。弟一家と会うのは後日に延期した。

 臨床研修医の修了証書授与式を行った。若い彼らのこれからの奮起と発展を希望したい。最近とくに自分で年齢を感じるようになってしまった。本当の年よりになったのかもしれない





DMAT帰院

2011/03/14(月)

 当院職員からなるDMATが戻ってきた。新千歳空港まで行って待機して被災地から北海道へ搬送してきた方への対応をしていた。私も午後6時半ころ病院の正面玄関で迎えた。雪が降ってはいたが、皆それでも元気なようで安心した。
 現在ドクターヘリのチームがまだ花巻空港を中心に活動している。しかしもう疲れがでるころだろうし、当院職員だけでなく、委託事業でもあるのでパイロット、整備士等の方々の健康状態も心配になる。

 今のところ、今週末にに石巻赤十字病院に看護師3名をお手伝いに派遣する。救護班は今月末の出動の予定である。明日から,対策本部は午後5時に開催することになった。

 病院の薬品や診療材料の今後の補充の見込みを調査した。本州から陸路搬送の物品が懸念されるようだ。

 原発の状態が心配だ。あの安全神話はいったい何だったのだろう。私も道内の泊原発施設の事故対応の訓練に何回か参加してはいるが、そんなものは今となっては何の役にもたたない。

 今回の機能評価のレポート書きは全く進展していない。書く時間がない。来週のワークショップは開催されるのだろうか。院長連盟の役員会は地震対策も兼ねて開催という知らせが来ている。今週の北見の看護大学学長の送別会は中止となった。





大震災対応

2011/03/13(日)

 久しぶりに我が家で目が覚めた。朝、7時半に病院に電話。午前9時の集合するとのこと。私も8時半に出向いた。副院長、総務課、救急課その他職員が集まっていた。私は留守にしていた間の病院の対応について始めて理解できた。

 岩手県の空港に、ドクターヘリと医師と看護師が行っている。又千歳空港には副院長と看護師が多数で向いていた。DMAT の出番は津波ということになると、あまり無いようだ。
今後赤十字の対応としては、避難所の健康管理ということになりそうだ。私も参加することが有りそうな気もする。
  奥尻島の地震に救護班で行ったときのことを思い出した。今はもういない母親に、”赤十字に長くいるからそんな危険なところに派遣されるのだ”と場違いな心配をいわれたことも懐かしい思い出だ。

 昼過ぎに孫達が来た。遊んだ。ただ私はまた会議が午後4時に予定されており、満足するほどは遊べなかった。上の孫が将棋を始めたという。私も少し練習して、孫と将棋をしようと思った。

 午後4時からの会議では大きな変化は無かった。私の役目は目の前のことに惑わされずに大きく判断をすることだと思っている。心してゆったりと物事を進めて行きたい。
 





横浜→旭川

2011/03/12(土)

 横須賀のホテル。
  当然熟睡はできないまま、うとうととして午前3時頃からまたテレビを見る。神奈川県にも余震の表示がでるも幸い一度くらいしか身体には感じる地震はなかった。高層ホテルの割には揺れが少ないようだった。要するに免震構造にはなっていない古い建物なのだろう。
  朝、6時に家にスーツケースの一つを送った。自分自身が、羽田空港でストップをかけられてしまう事も考えて、野宿用の物品は送らないで、持参することにした。

 こんな時でも朝食はホテルのロビーの一隅で用意されていた。私はサーベイのときは朝食は食べないのだが、今日は昼に食べられるという確信もないので,念のためバナナ等を食べた。

 午前8時前に旭川日赤に電話。その前に救護班の要請があったのを総務課からと、救護班のメンバーに決まった副院長からメールが届き,返信をしていた。病院には総務課の職員が出勤していて、私が無事であることと,皆によろしくと伝えた。なるべく早く帰るとは伝えたが、いつ帰れるかは判らない感じだった。

 朝食時、メンバー達と出会い、この状態では、サーベイなどはすべきでないという意見を交わした。きっと病院の職員も家に帰れなかった方がたくさんいるはずだ。
 しかしリーダーはまたリーダーとしての立場もあり、結局は病院の意向に従うということになった。機構からは、現場に任せるということだという。相手の病院から中止を言えるわけも無く、再度の訪問を避けたい気持ちも判るが、私は諸般の事情を考えると、サーベイは何も急ぐことでも無し、世の中が非常事態で大変な時にすべきことではなかったと今でも思っている。

 機構側がちゃんと中断の明確な指示をだすべきだったと思う。これは私の意見として、機構に伝えようと心に思った。

 昼前に逗子にすんでいる弟とようやく連絡がとれて、家族がそれぞれ皆元気だと聞いた.安心した。この月末には、機構のワークショップがあり逗子の近くであるので、弟一家と会うことになっている。

  旭川市医師会からも、電話がきて、札幌で予定されいた、北海道医師会の代議委員会・総会は中止となったそうだ。正しい見識と判断だと思った。ただ私個人にとっては、今夜、札幌回りにした意味は無くなってしまった。

 それとは別に,サーベイの方は順調に終了した。準備が良くできていて、協力も素晴らしく楽にストレスが無く行うことができた。5年前にも私はサーベイに伺っていて、ただ本当はあまり記憶になかった。精神科の病棟の看板をみたら、5年前のことをようやく思い出した。

 それでも少し早めに終わって、京浜急行は動いていたので羽田に行くことができた。念のため尋ねると旭川便の最終に空きがあった。幸いそれに間に合った。新千歳行きの便と、ホテルのキャンセルをした。こういうときは、ステイタスカードは非常に有効だった。

 少し飛行機は遅れたが、8時半には帰宅できた。一日予定より早く帰宅できて良かった。明日は病院にでかけてみよう。


大地震

2011/03/11(金)

  午後3時前だった。ちょうどケアプロセスの最初の病棟の終了間際だった。私はそれほどは凄い揺れとは感じなかったが、ただ揺れの時間は異常に長かった。縦揺れは全く無かった。サーベイすぐに中断した。停電にもなった。その後同じくらいの余震が一回有った。

  停電にもなったし、病院内の点検等で職員の仕事の邪魔もできないし、中止してホテルにもどろうとするも、勿論タクシーは無し。病院の職員が自分たちの車で送ってくれた。その時点では、交通シグナルは回復していた。ホテルに戻るも、従業員を含めて皆、ロビーで待機していた。異様な雰囲気だった。何時部屋に戻ることができるかも不明。

   その中で一部屋をセットアップしてもらって、サーベイヤーの今日の結果の合議。私はこのあたりにも少し違和感を持った。私の感覚が異常なのかもしれないが、本当は回りとは明らかに場違いで、何か恥ずかしいいという思いを持った。

   自分の病院に電話しようとするも、繋がらず。そのうち、当院の事務部長から電話が繋がった。幸い病院は大丈夫だということ。救護班の要請もあったという。何とか帰りたいとは思うがどうしようも無い。家内にもようやく電話が繋がった。無事であることを伝えた。

 夜になって、電車は動いていないために、宿泊希望者が多数来るも勿論ホテルは断っている。只、感心にろびーを開放して、水、茶、コーヒー等のサービスはしていた。

 夕食をとるために駅前まで行くと、コンビニは満員、弁当類はなし。電池のみ購入した。幸い中華料理やが開いていて、そこで夕食とした。

 また,ホテルに戻って待っているうちに、自己責任を認識してくれるなら部屋に戻って可という話しがされた。勿論、エレベーターは動いていない。私の部屋は16階ということで、非常階段で上がる自信はとてなく、ロビーでテレビをみていた。同じ仲間の部屋の階が皆違い私がとにかく最上階だった。他のメンバーは低階層だったので、非常階段を使って部屋に戻った。
  余震がきているようだが、ホテルでは感じなかった。暖房が無く寒くなったし、夕食時の酒も覚めたので、名前を届けた上で、非常階段を上り始めた、ところが,6階くらいで息切れがするので中止して又ロビーに戻った。この判断は正しかったと思う。

 このままロビーで明日の朝まで過ごそうかと思い始めた11時ころに、ようやくエレベーターが一機だけ動き始めた。上に行ってしまったら、又何か危険がありそうだとも思ったが、荷物のこともあり、わたしも部屋に戻った。エレベーターの中で、屈強な外国人が ”ひどい経験だ、悪夢だ”と親しげに話しかけられた。いまから考えると英語だったが、普段ならしゃべらないのだが、やはり何かわたしも興奮しているのか当然カタコト英語だが話しをした記憶がある。

 部屋はとくに荒れてはいなかった。テレビをつけるも今度は裏日本で地震が頻発しているということで、とても寝てはいられない。着衣のまま靴下をはいたままテレビをみていた。

  本当はサーベイどころでは無いはずだ。リーダーの決断を必要とされる局面を迎えてしまった。




一日目終了

2011/03/10(木)

朝,昨日発生したという地震のニュースを観た。しかし私には全く感じられなかった。
そうは言っても私だって、いつの日にかは遭遇する可能性はある。心しておく必要は有りそうだ。

品川経由で横須賀へ。三浦半島で明るい海が見えた。昼食に駅の下で、回転寿司を食べた。これはさすがに、すこぶる美味だった。二日間宿泊のホテルは、メルキュールホテル横須賀。外観は立派。部屋はビジネスホテル。外国人ばかりが目に付いた。


一日目めは無事終了した。期待していたとおりに、よく準備が出来ていて好感が持てた

夜、ミーテイング終了後食事に出た。さすがに基地の街という感じで、沖縄の雰囲気だった。

東京で足留め

2011/03/09(水)

朝の一番で東京へ。空港で異業種の知人とお会いしていろいろとお話を伺った。大事な事だと思う。


午後1時半から本社で会議が有った。私にとっては物凄く有用な会議だった。少し積極的に発言するよう心がけることにしている。

       途中で携帯に、旭川空港が雪のため、今夜の旭川行きは、欠航か千歳空港へという連絡がはいった。これには困った。今夜は旭川に帰って又、明日の朝は絶対に一便で東京に来なくてはならない。

        機能評価のサーベイで神奈川県に行く予定になっている。家に電話してみたが、それ程降ってはいないから、大丈夫だと家内が言う。しかしこればかりは、素直に従う訳にもいかない。
いろいろと考慮したが結局は東京へ泊まる事になってしまった。幸い定宿は空いていた。明日からの仕事の資料や日常の下着類は予め現地のホテルに宅急便で送ってある。常用薬は今回持参してきている。








札幌→旭川

2011/03/08(火)

 ホテルで夜1時頃突然電話が鳴った。受話器を取ると外国人がしゃべりまくっている。私の全く知らない言語で多分中東か中欧の言語のようだ。つたない英語で間違い電話だと伝えてもしゃべりやまず、とうとう私は切ってしまった。それから寝むられず。酒は飲み過ぎたから、飲む気持ちにもなれず。

 朝6時半に朝食会場に行ってみると確かに種類は多いようだった。ヨーグルトとうどんを少し食べた。

 10時から又支部で会議。人事についての話しであるが、幸い短時間で終了した。独立採算制と広域人事これも本来は相反する事柄である。今日は本当は、午後の飛行機で北見に行くところだった。北見看護大学の卒業式に副社長がみえられる。ただ私は明日本社で会議があるので、勘弁してもらった。
 変更して良かった。

 午前11時の電車で旭川へ。途中、滝川のあたりは猛烈な吹雪だった。
 病院につくとちょっとした出来事あり。夜の理事会に欠席の連絡をした。申し訳ないが、、、いろいろと用事があり、午後6時近くなって仕事がなんとあっさり片付いた。面倒で疲れてしまったので、そのまま帰宅した。

 帰宅したら、なんと孫達が夕食にくるという。タイミングが良かった。寿司を一緒に食べた。医師会にちょっと後ろめたい気持ちを持った。下の孫は大便をはっきりと教えて自分で便器に座って用を足すようになっていた。進歩したものだ。
  ”今日は泊まっていくかい”と聞くとしばらく真剣に考えて  ”キョウハ帰ル”と大きい声で言った。まだやはり一人では泊まることができないようだ。

 明日は東京日帰り出張がある。














支部で会議

2011/03/07(月)

朝8時の電車で札幌へ。電車は混んでいた。札幌周辺は雪の量が異常に多かった。考えたら今年の旭川は降雪も積雪量も少なかった。

日赤支部で役員会が開催された。私は医療部門の今年度の方針の説明をした。したと言っても書いて貰った原稿を読み上げるだけだが、、、、、午後から評議委員会がやはり支部で開かれた。道内の院長、事務部長が列席した。お年を召した評議委員をみていると身につまされる思いをした。今年の医療施設の予算は珍しく黒字予算となった。来年度、医療費の改訂でどう転ぶか、本当は不透明ではあるが。

夜、院長、事務部長、看護部長会議が、京王プラザで行われた。今回も連絡事項と飲むだけで終わったが、将来どういう形に持っていくかは難かしいところだ。私の今夜の宿泊は同じホテル。温泉付きを本当は望むところだが、移動しないのはやはり楽だった

今日ものんびり

2011/03/06(日)

 今日も一日一歩も外には出なかった。孫達が来るかと思ったが来なかった。日中は暖かく解けてきた雪を少し触って融雪の手助けをとも思ったが,腰でも痛くしたら、なにもならないので止めにした。

 確定申告を仕上げて印刷。明日送ることにした。確定申告が終わると、なんとなく春が来たという実感が湧くものだ。
 その後、今週末の機能評価審査の準備をした。優良病院のようだが、期待どおりであることを願いたい。
  この二日間、のんびりとして身体はおおいに休まった。

明日からの、tight な予定が気にはなっている。雪でも強く降って飛行機が遅延したら目も当てられないことになる。といって4日間も連泊するのはできたら避けたいし、、、

 

暇な土曜日

2011/03/05(土)  

 今日は本当は予定が有ったが、全て中止としてのんびりと家で過ごした。おかげで楽をした。
昼にかけて確定申告の準備をした。パソコンを使うので楽ではあったが、どうやら終了できた。明日もう一度確認して印刷しよう。

 午後からコンサドーレの初戦をみた。案の定、何も面白みも無く負けた。まあどうでも良いことだが、監督が替わらなくてはどうしようも無い。このままでは20チーム中、10位から15位というところではないだろうか。まるでサッカーになってはいない。

 ヴァルトラウト・マイヤーが歌っている   大地の歌 を購入した。これには英語の字幕がついている。バーンスタインのには字幕がない。やはり字幕が有るのと無いのとでは大違いだ。しばらくこれを鑑賞することにしよう。マイヤーは  ワーグナーでは何回も聞いているが、わたしはこの演奏も好ましく鑑賞することができた。確かに賛否両論があるだろうが、、、




                   大地の歌
                  





検診

2011/03/04(金)     30

 本日は私の職員検診の日。昨晩空港で知人に会ったりしたので、結構な量の酒を飲んでしまっていだので本当は受けたくなかった。

 一通り何でも受診した。身長は毎年1cmくらいづつ減少している。最悪は聴力。私には何も全く聞こえて来なかった。胃の検査はバリューム検査とした。今度は胃カメラを受けてみようか。

 下剤を皆の二倍量服用するも、下痢にはならず。しかし昼の医師会連絡会議の後、腹痛がおきてきて、帰宅させてもらった。

  帰宅してから、順調にバリュームは排出できた。便秘にならないで助かった。来週は自分でも危惧するほどタイトな一週間だ。うまく天候がもってくれると良いが、、、雪で飛行機の遅延などということがあると一番困る。

患者さんではないのだが、少しだけ 順番を待つ気持ちが分かった。皆が気をつかってくれたりしていることが判っていても不安になるのだから、実際に長時間待たされる不安と不快はそうとうなものだろう。待ち時間の対策をぜひ実行したいと思った。






東京→旭川

2011/03/03(木)


 ホテルで珍しく午前5時まで寝ていた。疲れが少しだが解消した。やはりホテルの朝食は食べず。浜松町の駅までの間にある、蕎麦屋で蕎麦の朝食。ここの蕎麦は本当は私は好きはない。これなら駅構内の蕎麦のほうが、私の好みである。
東京の朝は寒く、オーバーのほうが似合う感じだった。只雨も雪も降ってはいなかった。

 午前9時から、赤坂の ホギメデイカル の本社で開かれた講演会に出席。北見日赤の院長や、室蘭市立の管理者である、懐かしい医師も来られていた。

 内容は新しいことはなし。私達の病院の方向が間違っていないことを確認した。自分の置かれた立場を考えるといつまでこういうセミナーに参加べきかと考える。死に体になるのはいやだから、最後の最後までこのスタイルを貫こうと思っている。

 最終便で帰旭。千歳空港が雪のようで、旭川空港が代替えとして使用されたのか、飛行機がたくさん駐機していた。





東京は寒い

11/03/02

出張の用意をして病院に出勤した。午前中は、いろいろと職員が来た。良い事だ。話の内容は良い事ばかりでは無いが、、、大事に思わなければならない。


機能評価の最終結果が届いた。検討して、直すべきところは直そう。4回目、5年後を目指して、などと言ったら笑われそうだが、、、元気で何か手伝いが出来ればこんなうれしいことはない。

IPad 2 が発表になった。本当は購入したいところだ。出張に重宝している。

夕方の便で東京へ。寒い。浜松町の駅から定宿の  三井ガーデン汐留  へ行く間が冷たい風で、手袋が必要かと思った。今回は早くホテルに入ったので、大浴場に行こうかどうか本当のところは迷っている。明日の朝にしようか。









プロフィール

satoshig

Author:satoshig
 2012年4月から 旭川赤十字病院の名誉院長 となりました。
 現在の仕事のメインは同院の 常勤嘱託医師(検体検査管理加算Ⅳに該当する検査部門担当) です。
● 医療機能評価機構サーベイヤー
● 卒後臨床研修評価機構サーベイヤー


としての仕事も楽しんでいます。

 旭川赤十字病院には、1970年5月 から勤務し、副院長10年、院長を9年間 勤めさせていただきました。
 1966年北海道大学医学部卒業  もともとは脳神経外科医

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