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講習会終了

2010/02/28(日)

 朝、ホテルで3時に起きてしまい、オリンピックを珍しくみた。スケートの 追い抜き という種目がなんだか良くは理解できないが、惜しかった。
 講習会は午後1時に無事終了した。スタッフは疲れたことだろう。来年再度開催の期待論もあったが慎重に考えてみよう。
 私は特に何をしたわけでもないが、疲れ果てた。帰りの電車で寝てしまった。
 チリで大地震が起きて、津波警報がでた。釧路、函館、伊達からの参加者は帰れないようだ。幸い旭川の電車は大丈夫だった。

 夜、孫達がきた。久しぶりで遊んで、疲れてはいたが、嬉しかった。孫達が帰り少し落ち着いてから、確定申告書を作成した。ネット上での作成だが、昨年の半分くらいの納入で済みそうだ。きっとどこかで記入をまちがっているのかもしれない。落ち着いてもう一度やり直してみよう。
 明日もタイトな予定で、昼から上川支庁で会議、その後午後4時の電車で札幌へ行く予定がある。何かをキャンセルしたい心境だ。
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二日目終了

2010/02/27(土)

 講習会の二日目は無事終了した。本日の札幌は昨日とは打って変わって風が冷たくて寒かった。
 どんな講習会でも二日目というのは辛いが、今回もタイトな内容で些かかわいそうだった。

 私はただ、主催者側として、いるだけだったが、勉強にはなった。大いに価値のある講習会とは思うが、今後続けられるかどうかは、なかなか難しいところだ。資金の面もあるし、参加者を確保するのも大変だろう。今回のように、旭川から10人参加というのはもう考えられない。

 午後、ちょっと抜けさせてもらって、ホテルで仕事をした。明日昼までには帰るつもりで何となく思っていたが、早くても午後二時の電車にしか乗れないようだ。

夜、KKRホテルで懇親会あり。趣向を凝らしていて、楽しかった。本道の他の病院の医師達と話をしたり、聞いたりすることは良いことだ。

研修医指導者養成講座

2010/02/26(金)

 朝6時48分発の電車で札幌へ。さすがにこの時間では空いてはいた。院長連盟北海道ブロック主催の臨床研修医指導者養成講座が開かれた。本社jから安藤Dr.と事務官も参加。私たちの病院からも受講者10人、私をいれてスタッフ4人が参加した。宿舎はガーデンパレス。会場は かでる27。しかしここの使い勝手は相変わらず悪かった。午後から開講して、明後日の昼過ぎまで。

 私はデイレクターという立場なので、比較的楽だったが、受講者は大変だろうと思った。本当は私もどこかで受講しなければならない。

会議

2010/02/25(木)

 朝の四役会議は長くかかった。落成式の最終的確認をした。午後、上川保健所の課長さんが来院。3月1日の会議の相談。旭川医大の救命救急センターは4月には無理なようだった。

 夜、地域医療推進の会議と救命センター運営会議をグランドホテルで開催した。ほとんどがドクターヘリの話題に終始した。まあ仕方がないが。本来は今夜は札幌にいなくてはならないのだが、これらの会議のため欠席。明日の早い電車で札幌へ向かうことにした。
 明日から、札幌のガーデンパレスを会場にして、臨床研修医指導者講習会が行われる。赤十字病院長連盟北海道支部が主催ということで、私は主催者側で参加する。修了証を渡す役目もあるようだが、本当は自分が受講したいところだが。

 検体検査管理加算の件で久しぶりに、SDr.に電話。いろいろとお話をした。

医局幹事との話し合い

2010/02/24(水)

 医師会の会誌に載せる原稿がようやくできあがった。後、もう少し推敲したら、送ろう。安心した。落成式の式辞を事務部長に書いてもらったのが、大きかった。何かつっかかていたものがとれたように書く事ができた。機構から頼まれていたやはり原稿を断ったのも良い方向に働いた。こんなことなら、書かせてもらえば良かったのかなとも今となったら思い返している。

 夜、医局の幹事と会食あり。久しぶりに福鶴亭。立体駐車場の話はやはりというか意外にというかうまくは運ばなかったという。ただこれは医局と対立する話ではないので、交渉をうまく行うべきだ。私は屋根付きで楽をしているが、、、、

院長連盟役員会

2010/02/23(火)

 朝、2時から起きて原稿を書き始めるが全く進まない。そもそも書きたくて書いているのではない原稿は無理な話だ。やはり眠くなって午前4時半に再度寝たら,なんだかいやな夢ばかりみてしまった。

 朝の一便で東京へ。混んでいた。JALのためには、喜ばなくてはいけないが、、、東京暖かく、モノレールの沿線で、梅が咲いていた。本当は不公平だと思う。
 今日は本社で、院長連盟の役員会があった。連盟の会長に3月の祝賀会でのご挨拶をお願いした。
 一番の重要事案は、赤十字病院はだれのものかという話。もっと端的にいうと、病院と支部と本社との関係がうまくいっていない。うまくいっていないと、病院は感じている。永遠の課題かもしれない。ただそういうことを言ってだけで終わると、他の組織の病院群に大きく遅れをとってしまう。そのあたりの認識が本社にも足りないようだ。
 個々の院長は皆現在の危うさを肌で感じ取っているはずだ。

 今回の診療報酬の改定のシミュレーションの話がでた。私たちの病院ではまだシミュレーションをするところまではされてはいない。或る試算によると、最高で8%のアップという結果もでているという。日赤の他の病院でも6億とか4億という話がされていた。職員皆気を引きしめて頑張らなくてはいけない。
 私たちの病院はある意味では一番時流に乗っている筈だと思っている。
 こういうときこそ、リーダーの資質を問われると時だ。

 最終便で旭川に帰ってきた。少し疲れ気味。

日赤会麻雀大会

2010/02/22(月)

 四役会議終了後、落成式の相談。本来はご挨拶をお願いすべき方で出欠のご返事をまだいただけない方がいる。相手のあることでなんともしかたがないが、予定が立たない。私は、落成式と祝賀会と両方で挨拶をするわけだが、違うご挨拶などとてもできない。同じことをしゃべろう。

 午後から今日は病棟を回ってみた。これから心して職員の中を歩いてみようと思っている。
 以前より少しお互いに挨拶が交わせるようになってきているかな、、、という印象を受けた。これは嬉しいことだ。ラウンジではおおくの人がオリンピックのテレビをみていた。

 夜、ロワジールホテルで  日赤会 の 麻雀大会あり。私は全くできない、したこともないというわけで食事と酒を飲むところだけを付き合った。こういう時くらいおつきあいができれば本当は良いのだが、、、せめて将棋くらいをパソコン相手に練習してみようか。老後のことも少しは考えねばならない。

 今夜は何か不調であまり飲まないで帰ってきた。本当は原稿書きがまだできていないのも気に
なった。

映画音楽

2010/02/21(日)

 今日は暇な一日。要するに予定が何も入っていない。午前中、妻に付き合って美容院往復への運転手と生協の買い物。天候はやはり春の気配がして、昨夕降った雪も溶けていた。午後から原稿書きを始めるもこれがさっぱり進まない。あきらめの境地にたっしてきた。

 夜 BS で映画音楽をみる。酒が適度に入っているせいもあってが涙がでた。ただ、松田聖子 の娘にはでて欲しくなかった。あの父親は私はきらいではないのだが、、、下手な歌をきかされてがっかりだ。 
  エデンの東  ヒラソル シェルブールの雨傘 私にとってはどれも懐かしい思い出の作品だ。数年前、失意の中で聞いた ムーンリバー も思い出した。いつか、あの サロマ湖のホテルでまたリクエストしてみたい。 確かあのときはクラリネットでの演奏だった。まだ、あの方はおられるのだろうか。

学校医講習会

2010/02/20(土)

 朝の一便で東京へ。昨夕の講師をしてくれた先生方にも出会った。東京は今日はうす寒い感じだった。温度は10度くらいだったらしい。  
 日本医師会館  で学校医の講習会があった。昨夕の行事で旭川にいたので、私は午後の部から参加した。性被害、学校内暴力等々の話題だったが、普段は聴く事が無い話なのでそれなりに面白かった。ただ、やはり医師会館の椅子は腰に悪い。どうしてだろう。いつも、ここの椅子には違和感がある。

 最終便で帰ってきた。東京の日帰りというのはやはり疲れるようだ。来週の火曜日にも予定しているのだが、、明日はとにかく原稿を一つ仕上げなくてはならない。

道北救命セミナー

2010/02/19(金)

 午後7時から、ロワジールホテルで  道北救命セミナー があった。はじめは欠席のつもりだったが、メンバーをみて急遽出席とした。私は期待していたし、楽しんだ。はじめの挨拶と 故郷一知教授への黙禱を行った。何事にせよ他の人の話を聞くというのは良い事で、ちょっと自分では気がついていないことを指摘されたりするものだ。今度の診療報酬の改定についても、いろいろな人の意見とか、考え方を聞いてみるべきだと思った。

 明日の事を気にしながら、二次会に  すし港 までも行ってしまった。

精神科救急の会議

2010/02/18(木)

 朝の四役会議は昼過ぎまでかかってしまった。一番時間がかかったのは、落成式に配る病院の案内パンフだった。掲載する写真の適否までに及んだ。その後、落成式の相談をした。ご挨拶をお願いする方々を決めさせて戴いた。道医の会長は、朝早くから病院見学にも来て戴けるが、やはりご挨拶を戴く時間はないことになった。道医総務課にも電話をして確認した。

 夜、6時半から上川支庁で、精神科救急についての会議あり。いままでが順調すぎたのか、消防、警察も入って一気に解決のはずが、今回ははうまくは事が運ばなかった。このまま3月に突入するのはかなりの危険がありそうだ。まあ、なるようにしかならないのだが、、、2時間以上かかった。上川支庁からの自分の車を運転しての夜道の帰りはつらかった。

ドクターヘリ

2010/02/17(水)

 午後、道医医師会の副会長、三宅Dr.と事務職員の方々の来院があった。当院のドクターヘリ関係の施設を視察された。その後格納庫も見に行かれた。
 夜には道医師会の主催のドクターヘリについての懇談会がロワジールホテルで開催された。長瀬医師会長も出席された。当然道東の釧路でも開催するらしい。5ヶ月経過した現状と経過を説明した。ランデブーポイント、給油所の増設等についても医師会としても道に働き変えていただくことになった。

 釧路の方が、明らかに今のところ需要が多いようだ。道北の冬の厳しさは予測以上だった。まあそれでも最近はお呼びがかかる機会が増えてきたようだ。釧路は夏場の霧という問題もあるだろう。

 道医師会長から、当院の落成式に出席するが、12時の電車では帰らなければならないというお話があった。ご挨拶をお願いすることができるだろうか。明日の会議で検討しなければならない。後、ほぼ2週間だからもうご挨拶をお願いする方には連絡が必要だろう。

救命セミナー

2010/02/16(火)

 金曜日にドクターヘリの講演会がある。道北救命セミナー というたいそうな名称だ。開会の挨拶を頼まれていたが、午後7時というと午後8時の飛行機には乗れない。翌日東京で医師会の学校医の講習会に参加する予定になっていた。残念だけれど駄目なようだと伝えていた。
 ところがプログラムをみたらなんとも魅力のある講師陣だった。それに、先日急逝された 郷教授の追悼の黙祷も頼まれてしまった。そうなるとむげに避けてはいられない。急遽予定を変更することにした。
 また医師会の行事を犠牲にすることになった。

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 翌土曜日の、朝一便で行って、午後から医師会行事に参加することにした。また、東京日帰りのコースになってしまった。

 午前中は仕事がなく院内を歩き回った。まだ、小学校側の駐車場の使用が少ないようだ。アプローチを何か工夫の必要がありそうだ。駐車場を見に行っていたら、保育園の幼児が外で遊んでいた。孫がいるかな期待して見たがいなかった。ちょっと、がっかりした。

 夜、一度帰宅して軽く夕食を食べてから、医師会の理事会へ。今日は珍しく2時間かかった。夕食を食べてから行って正解だった。診療報酬の改定について意見がいろいろあったが、私は本当は医師会の体制と考え方についてがっかりした。当然、判ってはいる話だが、、、

地域連携の集い

2010/02/15(月)

 夜、グランドホテルで医療連携の集いがあった。11回目という。昨年のこの会合の時は腰痛でかなり悩んでいた。それからみると今年は今のところ腰の調子はよい。参加は連携している病院の医師とか看護師、保健所長もきておられた。
 当院の4人の部長が、自分たちの今行っていることを紹介した。私としても、なかなか公に聴く機会が少ないので、面白かった。懇親会も行った。参加者は多かったように思う。

 最近さっぱり仕事がはかどらない。何か仕事の面では不調である。人事の細かいことにどこまで口を出して良いかも悩みどころだ。人事は病院の運営にとって、要のことでもあるし、各部署の気持ちも斟酌してあげたいし、、、、

 立体駐車場の屋根付きの二階部分の使用職員負担額は医師は6000円と決まった。今までは、駐車場は2700円だから、雪のあるうちに募集しないと応募者が少ないかもしれない。雪がなければ何のメリットもないわけだから、、、
 ただあの駐車場の階を移動するための、斜面とカーブを看護師さん達と共有すると思うとちょっと憂鬱になる。私は女性は運転の適性が乏しいと思い込んでいる。


 ドクターヘリがまた要請が増えだしたようだ。

暇な日曜日

2010/02/14(日)

 何も予定のない日曜日。原稿書きをしようとしたが、一行も書けず。却って昼寝をする始末だった。
夕食は孫達と外へ行った。初めての居酒屋だったが、綺麗でそれなりのものだった。

 夜、サッカーをみる。これは監督を更迭というのもありえそうだ。とにかく点を取る匂いが皆無だ。 

 新年の挨拶を  病院便り に掲載した。転載してみた。



挨拶

東京日帰り

2010/02/13(土)

 旭川空港は猛烈に混み合っていた。雪祭り効果だろうか。そうであればまんざら旭川の冬祭りも、馬鹿にはしていられない。
 JALの一便で東京へ。副院長や何人かの知人に出会った。
 会場にはやはり少し早く着いてしまい、昼食は食べないつもりだったが、パスタのランチをたべてしまった。おいしかったが、、、
 本日の会議は脳死からの臓器移植の法の変更に伴うもの。いろいろな職種が参集して意味のある会合だった。
 いつ我々の病院でもこの事態が発生するかは、判らない。旭川医大に移植に造詣の深い教授が新しく赴任することでもあるし、、、私自身はいまだに臓器移植には疑問をもってはいるが、避けているだけでは済まない問題だろう。

 診療報酬の大綱がほぼ決まったようだ。今回の改訂の内容は私たちの病院にとっては非常に追い風になるようだ。しっかりと検討してみよう。いままでの目指してきたことが、ほぼ的中しているようだ。

 最終便で帰宅。最近、東京日帰りということも増えてきた。

日本経営

2010/02/12(金)

 朝、北大の外科の教授が手術に来られるというので、玄関でお迎えをした。新年のご挨拶がまだできてはいなかった。北大をお尋ねしたときは出張中で不在だった。

 昼、医師会の連絡会議有り。会長にまで久しぶりと言われてしまった。反省の必要はあるだろう。

 午後3時から 日本経営 という会社の方と本社の職員が来られて、当院の経営状態の分析があった。この会社は私は好ましいと思っている。以前に東京でセミナーを聴いた時に、押しつけがましなく、そして、私の感性に類似していた。その当時にもブログに確か書いている。
 ただ、今後どこまで関与するのだろうか。どうせなら、職員の面談とか、もっと内部の状態の把握をしたうえでの、分析、指導も必要だろう。まあとにかく、今回のだけでも有用であることは判ったが、、、、、

 夜、医師会館で夜間救急体制についての会合あり。珍しく旭川医大の学長が出席もあって、何か爆弾発言があるかと思ったが特になし。安心した。眼科、整形外科、精神科についての救急体制の話し合いと確認をした。

 明日は東京日帰りの出張がある。

原稿全く書けず

2010年2月11日(木) 

 祭日。特に予定はない。原稿を少しでも書き上げようと思ったが全くできず。困った。せめて医師会の巻頭言だけでも書かなくてはならない。明日は暇はないし。

 生協での買い物につきあってまた書こうとしても眠くなるだけ。
 代表のサッカー試合をみる。今日は3点入ったがあれでは本当はどうしようもないだろう。7割ぐらいボールをキープしていてあの点数では恥ずかしい。そもそも、いくら雨とはいえ、あの観客数はなんだろう。テレビではがらがらの客席を写らないにはしていたが、一万そこそこの数ではないだろうか。
 日本中の興行がすっかり落ち込んででいるのか、サッカーの試合内容が面白く無いから観客が少ないのか。

早起き

2010/02/10(水)

 朝、また午前1時から起きてしまった。昨日のオペラの続きをみた。感想は同じ。  ナタリーデッセイが案内役をしていて、ネトレプコと英語でしゃべっているのを聴くと、やはり男児を出産直後らしい。輸入盤で日本語字幕はないので、少し怪しい部分もあるが。もう少し体型を整えてから、録画してほしかった。少なくとも悲劇には向かず。 愛の妙薬 ならまだ良いが、、、

 その後まだ明るくもならないので、先日録画してあった ゲオルギュー の ツバメ をみた。風邪気味で調子が悪いとはじめに断っての公演だった。これは面白かった。プッチーニの初期のオペラで  椿姫 に似た内容。ただしこれはヒロインは死なない。

 この秋に、ネトレプコ と ゲオルギュー が両者とも東京に来る。今のところ予定が全く立たないので、切符を購入するわけにもいかない。

 午後1時半の電車で札幌へ。M副院長、事務部長と同道した。札幌医大精神科を訪問。教室長と次年度からの診療体制についての相談をした。体制の不備な中でいろいろと頑張ってはいただけそうだった。
札幌の街は雪祭り中だというのに意外に静かだった。ただ、吹く風がやはり冷たかった。

当たり前の話だが、電車のなかで眠くてたまらなかった。大丸の地下で  点々の餃子を買っておみやげとした。
 帰りの電車で、携帯にS副院長から連絡有り。ドクターヘリが丘珠空港で修理のため週末は就業を停止するという。最近また飛来することが多くなっていたのに残念だ。


ネトレプコ

2010/02/09(火)

 昨晩は久しぶりに酒を飲まず早く寝た。すると今朝早く午前2時半には起きた。原稿書きをしようとしたが、さっぱり進まない。医師会の機関誌、北大脳外科の同門会の機関誌、さらには機能評価からも先日の研修の感想文の依頼があった。この10日間で仕上げることができるだろうか。

 することがないので朝から、先日購入した、オペラのソフトを鑑賞。
 アンナ・ネトレプコ の ランメルムーアのルチア。二枚組の一枚目のみ鑑賞した。
   メトロポリタンオペラ  で 演じたもの。これは期待に反して少しがっかりした。まず歌のことはべつにして、撮影がとにかく広角レンズを強調しすぎだ。遠近感をだそうとしたのだろうか。画面があまりにも切り替わりが激しくアップの多用も私には耐えられなかった。映画をみているのではなくやはり劇場中継だとするとあのテレビ用演出は賛成できない。
 それからもう一つ。よく調べてはいないが、多分 ネトレプコ はお産のすぐ後なのではないだろうか。太り気味で美しい顔とはいかにもアンバランスだった。初めのうちは、縦横の比率を間違えて再生しているかと思ってしまった。
 セクハラだと言われそうだが、、、、

 夜、管理会議有り。来年度の予算の説明と皮膚科新設の了解をえた。

暖かい一日

2010/02/08(月)

 朝から今日は暖かい。やはり楽だ。白衣のまま、駐車場の混み具合を外へ見に行くこともできた。これからまだ寒い日があるにしても、少なくとも日中は暖かいだろう。何となく春の兆しがみえる。

 昨日の葬儀の最中に感じた大きな音はドクターヘリではなく防災ヘリだったらしい。防災ヘリなら大きい音で当然だ。少し安心した。

 四役会議の後、落成式とその後の祝賀会の相談あり。あと一月だ。そのころにはきっと雪もかなり溶けているだろう。午後、8月の日本人間ドック学会の件でY院長ご一家の訪問を受けた。私は顧問を仰せつかっている。何か協力できることがあるだろうか。

 夜、医師会館で精神科救急についての相談あり。完璧ではないが、よく皆協力しあおうという姿勢がよく見える。私は本当は感激した。まだ捨てた物ではない。今回の件についての保健所の努力もすばらしいものだ。
私たちも何とか再開に向けての努力を続けていこう。

 今日は休肝日





バリシニコフ

2010/02/07(日)

 一日中、取り立てて何もせずにのんびりと過すことができた。本当は札幌で医師会の小児科救急の講習会を聞きに行く予定があったが、考えたら雪祭り中で交通機関の混雑も予測され、身体休めのため行かなかった。どうせ出張の届けも出してはいなかった。少し疲れ気味だ。  

 全く不要になった VHD のソフトを最終的に整理した。以前一度整理を図ったけれども、その一部にどうしても愛着があって捨てきれなかったものだ。もう今ではハードもない。
 100枚以上あったが、昔のは価格も高くもったいない感じが強かった。現在の DVD がまた規格変更などということのないように願う。

 バレーソフトの鑑賞をした。ドン・キホーテのソフトを二つとお気に入りの  ジゼルをみた。今更ながら ドン・キホーテでの バリシニコフ の全く素人目には異次元のすごさに驚いた。ただ、バレーの場合にはオペラ以上に画質が問題になる。  ブルーレイ のソフトの増加が望まれる。  バリシニコフ ばすごいからといって、画質の悪いソフトを集めるほどのことはしないつもりだ。

 今週はまたいろいろと大事な行事が控えている。心して対応して行くつもり。

告別式

2010/02/06(土)

 朝、8時に告別式の会場へ出かけた。もう何人かの役員が出てきていた。さすがに、告別式の出席は少なかった。お経があまり長くなくて助かった。チャイム・シンバル・銅鑼 が使われるのは久しぶりで本当は驚いた。私は無宗教だからどうでも良いが、あれなら東の方がまだ落ち着いている感じがした。
 告別式の最中に、どうみてもドクターヘリの音と思われる騒音が頭の上をを通り過ぎた。当院のヘリポートから200メートルくらいしか離れてはいないが、結構な音だった。これはやはり市民感情というのにも配慮が必要だと思った。夏で窓でも開けていればもっとすごいのだろう。

 葬儀中に思い出したが、私は母親を亡くした時の悲しさが父親の時とは段違いだった。今でも女性というのは恵まれていると思っている。

 休憩のため一度帰宅したりもしたが、繰り上げ法要にも出席したので、まあ一日はつぶれてしまった。それでも自分でも満足したので良かった。

 夜、アジア選手権のサッカーをみる。日本チームはどうもますます点をとる匂いが希薄になってきたようだ。そもそもみていて面白く無い。いったいどうなってしまったのだろう。

葬儀

2010/02/06(金)

 久しぶりに自分の車で出勤。やはり立体駐車場は楽だ。午前中、院内を歩き回って気になる部分を係の職員と検討した。重大な事項は無かった。駐車場の一つが使い勝手が少し悪いのが気になった。アプローチの方法を再考する必要がありそうだった。来週は病棟を精力的に回ってみよう。

 昼医師会の連絡会議あり。その後、歯科研修医の研修施設の厚労省の監査のようなものがあった。ただ私は最初のご挨拶のみで失礼した。刑務所の医務官が新任されたというのでご挨拶を伺った。

 夜、栗山病院の院長の母君の葬儀あり。会場は大谷派別院。私は葬儀委員長だったが、たいした仕事はなし。栗山日赤の幹部職員が手伝いに来ていた。まあ、当然かもしれないが、ご苦労様と慰めたい。
 お通夜が終了した時点で会計の方も終わっていたので、比較的早く帰宅することができた。
 明日の東京でのセミナーに出席が駄目にはなったが、喜んでもらえたと思えるので、お引き受けして良かった。

北大訪問

2010/02/04(木)

 四役会議では昨日の旭川医大訪問の結果を報告した。ちょうどメールも届いていた。いろいろと意見はでたが、最終的には良い提案として受け止めることにした。当院の医師達にも報告。温度差はあるものの、了解を得た。

 午後3時の電車で札幌へ。北大脳外科を訪問した。何十年も前に私が北大脳外科の大学院生だったときのままである。懐かしかった。まあまあの結果だった。
 札幌の道路は最低。滑ってどうしようもない。腰が痛くなる。恐ろしくて帰りは、北大病院から駅までの短い距離をタクシーを使ってしまった。あの滑る道をもう一度歩く気持ちにはなれなかった。
 夜7時の電車に乗ることができた。疲れ気味なので助かった。

葬儀

2010/02/03(水)

 旭川医大の郷教授の葬儀に参列した。ロワジールホテルで行われた。ホテルの商法も変わった物だ。
なんとも悲しい。私よりも一回りも年下である。旭川医大との関係をうまく取り持ってくれた彼無しで、今後,大学との関係はどうなるだろう。難題がまた増えてしまった。いろいろな方々とお会いすることができた。

 午後から旭川医大を訪問。或る教授のご病気と人事の話だった。予想に反してけっして良い事ばかりの話ではなかった。病院の立場をはっきりと申し上げたつもりだ。事務部長を同伴して良かった。

 栗山病院の院長の母君の訃報が入った。金曜日お通夜、土曜日告別式という。葬儀委員長を頼まれてしまった。土曜日は東京にセミナーを聞きに行く予定だったが、頼まれたらそうも言ってはおられず、お引き受けした。

 夜、昨年の院長連盟総会の反省会がロワジールホテルで行われた。当院の職員は本当によく協力してくれた。医師会の新春祝賀会には出席できず。葬儀の相談があったりして、医師会の二次会にもでれなかった。

会議

2010/02/02(火)

 日が長くなった。今日は午後5時でも薄明るい。日中も気温とは関係なく太陽の光が赤くなってきたようだ。いくら年をとっても少しは心が踊る。
 午前中病院の中を歩き回った。おおむねよく機能しているようだ。人の流れも問題はない。今後は少し病棟のほうも回ってみよう。もう少し経ったら、もう一度院内の流れ、サイン等の見直しも必要だろう。内科外来のあの通路も今のままで良いのだろうか。我々は問題無しとは思っているが、診察待ちでいる方はものすごく落ち着かないのではないだろうか。私は何かスクリーンに類した物が必要だと思うが、、、これは皆の意見を聞いてみたい。
 午後来客多し。部長の何人かと話し合いをした。いずれも人事のことばかりだった。この時期は本当に大変だ。人事と組織改編とやりたいことはたくさんあるのだが、実際にはなかなか進展していかない。

 夜、5時から医師会館で小児救急についての会議。上川保健所や公的4病院の院長を皆集めての、当院副院長の采配は見事だった。午後6時半からは医師会の理事会。その後医療紛争についての会議もあり、郷教授の通夜には行けなかった。明日、葬儀に参列しよう。

心中

2010/02/01(月)

 多忙な一日だった。四役会議はあまり重要な出来事はなかった。しかし途中の電話からいろいろと始まった。まず自分の科の問題。これは私が責任を持って頑張らなければならない。これも病院の将来にとって非常に重要な問題だ。

 ついで、或る診療科と大学との問題がでた。新設を前提とした準備の話。明後日、医局に伺うことにした。病院としては願ったり叶ったりの話である。いろいろと解決しないと駄目な事柄が控えてはいる。
 もう一つ既存の科の現医局と病院との対応で問題となる話があった。これも前向きに検討していくつもりだ。現部長と病院とは心中を図る覚悟が必要だ。

 何か少し物事が病院にとって良い方向に動いてきたような感じもある。

 夜7時から地域連携に絡んだ症例検討会が当院の講堂であった。はじめのご挨拶をしたが、医師も含めてこの地域の多くの病院職員が集まった。上川保健所長もきておられた。日常の仕事の後に、この時間に集って勉強する方々に敬意を表したい。
プロフィール

satoshig

Author:satoshig
 2012年4月から 旭川赤十字病院の名誉院長 となりました。
 現在の仕事のメインは同院の 常勤嘱託医師(検体検査管理加算Ⅳに該当する検査部門担当) です。
● 医療機能評価機構サーベイヤー
● 卒後臨床研修評価機構サーベイヤー


としての仕事も楽しんでいます。

 旭川赤十字病院には、1970年5月 から勤務し、副院長10年、院長を9年間 勤めさせていただきました。
 1966年北海道大学医学部卒業  もともとは脳神経外科医

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