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穏やかな大晦日

2009/12/31(木)

 穏やかな大晦日。どこへも外出はしなかった。自室の整理を少し行った。

夜は隣の義兄の家で、息子一家と一緒に大晦日を過ごした。下の孫が  1,2,3,と10まで数字を数えるようになった。まだ2歳だから小遣いも10円玉を10個もらうくらいなのだが、それを貯金箱に数えながら嬉しそうに入れていた。何ともかわいい。上の孫は小学校2年だが、弟をいじくりながら必死にかわいがっている。それをみているのもまた嬉しいものだ。

 今年はある意味では良い年だったが、来年は病院にとっても私にとっても、正念場となる一年だ。心を新たにして頑張るつもりだ。
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天国と地獄

2009/12/30(水)

 一日中暇。おかげで自室の整理と原稿書きで明け暮れた。院長連盟の機関誌に投稿するドクターヘリの原稿と1月4日に職員に話しをする挨拶の原稿を仕上げた。

 外出は生協への妻の買い物につきあっただけ。

 天国と地獄をみる。黒沢の映画ではなく、オッフェンバックの喜歌劇だ。これは面白かった。ナタリーデッセイはここでは生き生きとしていた。私は下品は感じがして、オペラでは好きではない。しかし喜歌劇となるとすばらしいと思った。考えをかえないといけないようだ。

足の痛みは完全に快方に向かっている。足を引きずることがなくなった。今日もボルタレンテープは使わなかった。良かった。

長い休暇

2009/12/29(火)

 少し二日酔い。飲み過ぎた。午前中、病院へ行き、部屋の整理を少し行った。あまり効果は現れなかった。もう一、二度病院へ行って頑張ろう。今日から6日間の休日となる。この間、どのくらい入院が減るのだろう。考えたら恐ろしい気持ちになる。仕方がないことではあるが。

足の痛みは少し快方に向かっている。今日はボルタレンテープは使用しなかった。

ご用納め

2009/12/28(月)

 今日で今年一年の御用納め。
今年はまあまあ良い一年だったのだろう。ドクターヘリも無事就航したし、増改築もまずはできあがった。経営状況だけは不安要素をかかえたまま来年に持ち越すことになる。
 四役会議も最後。院内をいろいろと歩き回った。新しい玄関をみることができたが、玄関ホールからの通路が意外に狭くは無かった。壁が透明なことが幸いしているのだろう。良かった。内科外来の椅子がまた少しずつ通路側に浸食をはじめているのを見つけて、本当は悲しくなった。

 昼から医師会の決済業務。年明けの予定の確認をした。夜は管理フロアーの忘年会。ででん という初めての店だった。行かないはずだった二次会にも参加して、すっかり酔っぱらって帰ってきた。

ゼフイレッリ

2009/12/27(日)

 朝起きたらまた足が悪化していた。昨日はボルタレンを使用しなかったせいだろうか。休んだ期間の手紙類をみに、病院へ行こうと思っていたが、駐車場からの距離が不安で出勤をを中止した。従って一日中暇。ボエーム と トウランドット の DVD を視聴した。 
 ゼフイレッリ の演出にすっかりはまってしまった。本当は荒唐無稽なイタリアオペラをあれだけ面白くみせてくれるのは嬉しい。今まで少なくとも カルメン(これは当然イタリアオペラではないが) と ラボエーム はみている。ボエームは私の一番好きなオペラである、何枚もDVDを所持しているが、演出は彼のが一番だ。
 トウランドットは今まで馬鹿にしていたが、今日始めて結構面白い注目すべきオペラだと認識した。華やかな舞台を堪能するためには、もしブルーレイで再発売されたら、ぜひ購入したい。
 映画版はゼフイレッリの演出では椿姫とオテロを LDでは所持しているが、いまさら LD ではもうみる気がしない。
 ワーグナーやモーツアルトを演出していないと思われるのは非常に惜しい感じがする。

 本題はもう一つ。ネトレプコの ボエーム の映画を見直すがやはりものすごい違和感が残った、まずテノールが全く嫌いだ。あのオーバーアクションは私は好まない。演出もイメージとは大きく違う感じがする。ものすごい期待をもってみるのでいつも幻滅を感じるのかもしれない。
 しかし、全く次元が違う話として、現実の舞台をなんとかみてみたいと思っている。来年秋、東京でマスネーのマノンをするらしいが、その方が代えってイメージが崩れなくて好ましいかもしれない。同じ公演でゲオルギューの椿姫もあるわけで、どうせならこれも見逃せない。
 お金と時間が有ればよいが、、、

マイナス15度

2009/12/26(土)

 東京での朝はのんびりとしていた。朝食は食べず。ゆっくりと羽田へ行って、空港で蕎麦を食べた。飛行機は子供連れで混んでいた。旭川空港に近づくと旭川の気温はマイナス15度との放送が入った。この冬は暖冬とのことだったが、結構気温は下がっている。これが底なら良いが、、、千歳空港はまた雪で欠航の予測らしい。そういえば昨年の欠航率はひどかった。私は1月に3回も千歳周りを予定してしまった。考え直さなくてはなるまい。

 帰宅してからも、一日今日は暇だった。夕方、息子を迎えに行くくらいが仕事だった。幸い、左足は少しずつ改善してきたようだ。少なくとも症状は楽になってきた。ボルタレンのテープは今日は使わなかった

今年最後の出張

2009/12/25(金)

 今年最後の東京出張。本社で院長連盟の役員会があった。本当は足の痛みが心配で出席を懸念したが、どうやら少しは快方に向かっているようだった。会議ではあまり目新しい話題はなかった。旭川で10月に開催した院長連盟総会の会計報告を行った。
 赤十字社の社内福祉事業の契約会社の ベネフィット について、いろいろとアンケートをとってみることになった。

 夜、貿易センタービルで近衛社長の世界赤十字連盟会長就任の祝賀会が開かれた。本社のいつもはあまりおつきあいの少ない幹部の方々とお会いすることができた。それが収穫だった。各地から持ち寄ったお酒があり楽しんだ。

 本日の宿泊は足の痛みが心配で、少しでも会場に近いところというので、 アートホテルズ浜松町。以前は本社へ出張の時にはこのホテルばかり利用したものだ。
 少し古くはなったが、このホテルはそれなりに良いホテルだ。



ドクターヘリ

2009/12/24(木)

 朝起きたがまだ足の痛みはとれてはいなかった。腫脹はかえって増悪したようだ。今朝も自分の車での出勤は諦めた。まああと10日もすれば、落ち着くだろう。

 沖縄のドクターヘリ MESH のフライトスタッフ のかたの BLOG に当院が旭川医大の敷地を無償でお借りして建築した ドクターヘリ格納庫 の写真と説明詳しく載せていただいた。リンク した。作者は多分、私の知っている医師の方だと思うが、、、、ありがたいことだ。一度私も写真を撮ってこなくてはと思っていた。

 今日はどこかからお声がかかって、脳外科の患者さんをドクターヘリは運んできたようだ。何日ぶりだろう。冬期間のドクターヘリの運用は思ったよりもっと大変なようだ。

 夜、医局のファミリークリスマスがロワジールホテルで開催された。妻と参加した。もう30年間は続いている。昔は200人からの参加者だったと思うが、最近はその1/3 くらいになってしまった。要するに、医師が皆高齢化して小さい子供のいる家庭が少なくなってきたのだろう。
 私としては一度また孫たちをつれて出席するのが夢だ。

痛みは治まらず

2009/12/23(水)

 祭日。ただ左拇趾の痛みは治まらない。ものすごく悪化しているわけではないが、、、動きがとれず、年賀状を仕上げ、機能評価の評点付けも終わった。評点はリーダーのところへ添付ファイルで送った。いつも同じだが、この時期が一番いやだ。どうも私は規則正しく評点をつけるという能力が欠けているようだ。リーダーがどう思われるだろうかというのもすごく気になる。

 この足の痛さで、明日の医局のファミリークリスマスや明後日の東京行きは大丈夫だろうか。東京では役員会があり、先日の院長連盟総会の会計報告をしなければならない。社長の祝賀会にもぜひ出席したいと願ってはいるのだが、、、

正面玄関のサイン

2009/12/22(火)

 朝起きた時から、左足の拇趾の付け根が痛い。もともと尿酸の値は高めなので、痛風の発作かなと思った。それにしては激痛でもない。それでも、自分の車で行くにはちょっと心配でタクシーで病院にでた。歩けないほどではないが直らない。外反母趾もあるので、そのための関節炎かもしれない。ボルタレンの湿布をするも悪化はしないが、軽快もしなかった。しばらく経過をみるしかないようだ。

 午後、新しい講堂で最後の増改築定例会議が開かれた。3年間、33回目ということになる。月並みだが、長いようで短い工期だった。私の任期の半分は増改築工事にかかりきりだったことになる。

 夜、忘年会に出席するときに、タクシーで正面に回ってもらい、玄関の壁のサインを確認した。LED を使用したが、非常に綺麗に栄えていた。満足した。今度は写真を写してこよう。工事関係者と一緒の忘年会が 旭川地ビール館で開かれた。盛会だった。ただ私は もし痛風だったら、困るので、ビールは全く飲まなかった。その代わりに ビヤホールなのにワインばかり飲んだ。
 増改築工事に関わった多くの方々と話をしたが、何事にも終わりがあるとはいえ、とても淋しいものだ。

 本日はドクターヘリは2回要請があったらしい。しかし、稚内方面は悪天候が予測され、飛べず、もう一つは、症状が軽快してキャンセルになったという。難しいものだ。

送別会

2009/12/21(月)

 私は70年安保の時に、この病院に奉職した。30歳になるかどうかという時だった。そのときからなんとそのままこの病院に居続けている。いろいろなことが有って、タイミングを失したとか、子供の重大な病気とか理由はいろいろあるが、勇気が無かったのもあるだろう。当時は脳神経外科もその黎明期だったので、大学や先輩の病院からも声がかかったり、教授から留学の勧めももらったが、決心がつかなかった。
 今回、私と同じ年に、卒業し勤め始めた看護師の送別会に呼ばれた。
 石むら  という始めていく店だった。6人というこじんまりした会だったが、良い会だった。私の外来でかなり長期間一緒に働いて、精神的にはかなり助けられたものだ。送別会で久しぶりに話をして、楽しかったが、寂しい気持ちも強かった。

 朝の会議は午後1時までかかった。院内の建築物の呼称の問題、駐車場の使用基準の問題,各玄関の開閉時間等早急にきめる事項が多かった。いよいよ大詰めだ。特に立体駐車場を医師に開放するなら使用料金を高く徴収すべきだと思う。私は冬の雪のことがあるので、いくら払っても屋根付きのところにお願いしたいものだ。

 午後、外来棟と入院棟を結ぶ、アトリウムで院内クリスマスコンサートが開かれた。ピアノとクラリネットの演奏だった。病院に入っている、LAWSON とタリーズの共催だった。時間が悪かったのかあまり観客がいないのと、あの場所は音響が非常に悪いことが解った。吹き抜けの構造なのだが、音が上に抜けてしまう。二階で聴く方が、良い音がしていた。これから何度も使われるのだろうから、何かを考える必要がありそうだ。

 ドクターヘリは医大敷地に作った格納庫に行きっぱなしだが、さっぱりお呼びがかからないようだ。悪天候が続いているせいも勿論あるのだが、、、

賀状書き 孫

2009/12/20(日)

 本日も特に予定無し。ゴルフの練習に行こうかと思ったが、かなりの雪の降り方なので辞めた。練習に行かない理由ならいくらでもできてしまう。何とか正月休みからは練習を軌道に乗せなくてはならない。

 午前中に年賀状書きをした。幸いほとんどができあがった。前回の機能評価のレポートを作り始めた。うまく書けないでいやになる。この時期が一番いやだ。

 夕方、孫たちがやってきた。夕食を一緒に食べて行った。帰るときになって下の孫が”帰らない”と言い出した。かなり頑張って、最後はお土産のお菓子一袋で納得して帰った。これが冬でなかったら試しに泊めることも可能だろうが、、、上の孫はもうこの時期には一人で泊まったのではないだろうか。

忘年会

2009/12/19(土)

 日中は暇。一度病院にでかけるも工事も落ち着いたとみえて大きな変化はないようだった。

 夜、旭川医大の二つの科の忘年会がいずれもグランドホテルで有った。なんと4~5の科の会が重なっているようだった。二つの忘年会のかけもちというのは実際には不可能だった。もっぱら産婦人科の方に専念した。麻酔科の方は会費を払い、ちょうど入り口で教授にご挨拶をしたのみだった。来年から考えなくてはなるまい。

 後、忘年会も来週の4回のみ。

新玄関ホール視察

2009/12/18(金)

 朝、寒かった。久しぶりに病院に出ると、また機構からの FAX が届いていた。2月に茨城という予定が当てられた。しかし、役員会の予定が入ってきていたので、念のため変更をお願いした。もちろんすぐに応じていただいた。来月には、大阪まで行って、診療部門の精神科のサーベイの講習を受けるということもあるし、許してもらおう。
 午前中、新しい玄関部分の視察を行った。かなりできあがっていた。玄関のホールは思ったよりは広かった。玄関周りの駐車場は分散していて、これは混乱がおこるという感じだった。ただ、総体的には満足した。その後、新しい体制になってからのサイン類を見て回った。バックグランドのエレベーターのホールの照明、サインも検討した。後、一月で完全オープンとなる。

 午後、医師会へ。たくさんの決済が有った。年末の挨拶が少し続き、その後精神科の問題について、地元紙の取材があった。少ししゃべりすぎたかなと反省した。

 GHC の S氏がきて、当院の薬剤の使用実態についての分析の話があった。面白かった。まだまだ改善する余地があることになる。最後に外来の通路の状態についての相談を現地で行った。相違点はあるのだが、まあ検討していけばなんとかなりそうだ。

今日はタイミングを失したので、久しぶりに   休肝日

帰旭

2009/12/17(木)

 埼玉も結構寒いようだった。機能評価の仕事は、少し早めに昼で終了した。私は十分刺激を受けた。民間のチエーン病院群に対する認識を新たにした。東京で少し動き回って予定通り最終便で旭川に帰った。一便早くも間に合いそうだったが、安いチケットを購入していたので、変更にはかなりの追加がかかるのでその分は食事に回した。

 旭川は降雪のため、千歳へ降りるのを承知でということだったが、無事旭川に着いた。疲れた。満足感もあるが、もう辞めようかといつも思う。

年内の出張はあと一回のみ。25日の院長連盟役員会と社長の祝賀会がある。思えば今年はなんと飛行機に乗ったことだろう。40往復にはなる。

サーベイ第一日目

2009/12/16(水)

 私は100床以下の病院のサーベイというのは始めてだったが、初日は無事に終了した。しかし、さすがに内容が濃く非常に疲れた。準備がよくできていて、その点では楽だった。小項目ごとに対応されていた。私たちの病院の受審のさいにも、やはりこのように準備するようにしたい。病院に帰ったら、皆に伝えよう。

 病院から、ホテルまでが往復ともタクシーで40分ほどかかってしまって、つらかった。ただ、夜の打ち合わせは、比較的スムースに終わった。私の領域では明日もう一度確かめる事項があった。

 仕方のない話だが、食べて飲んでこれはますます太ってしまう.今朝はそれでも朝食を抜いたが、明朝も我慢しよう。

旭川→羽田→大宮

2009/12/15(火)

 地元紙の北海道新聞に、私たちの病院の精神科の話が掲載された。部長退任に伴い後任の補充ができず、診療休診となるという内容だった、私のコメントを含めて、妥当な記事だった。そういえば、事務部副部長のところへ昨日、地元の NHK からも取材があったそうだ。いまさら話題になっても時期を失してしまった感じである。

 朝出発前にW社長から携帯に電話があって、ヒラソルの話を直接聞いた。東京でお会いする話もあったが、予定がうまくは折り合わなかった。いずれにせよ、一人勝ちというのはどの世界でも望ましい事ではないので、今後の推移を見守りたいものだ。

 念のため朝の1便で東京へ。しかし使用飛行機が変更になっていて、Jシートは無く古いタイプの機種だった。すごく疲れた。はじめは雪で旭川空港閉鎖のような話だったが、かなり遅れたが無事に羽田についた。昼食を羽田空港でとり、電車で大宮へ。なんとも賑やかな都会だ。ホテルが パレスホテル大宮 で豪華ではないが、汚いビジネスホテルよりは遙かに良い。最近、機能評価のホテルの基準が良い方向に変わったようだ。ありがたいと思うし、当たり前だと思う。
 夜、明日からの仲間と会って、夕食と打ち合わせ。たの三人のうち二人は以前ご一緒したことがあり、今回はストレスが少なくサーベイができそうだ。

ヒラソル凋落

2009/12/14(月)

 夜、GHC のW社長からのメールで メデイカルアーキテクツの ヒラソル が運用を中止した知らせが入った。本当は少し複雑な心境だ。私たちの病院はもとから GHC の EVE というDPCの分析ソフトを使用している。
 ヒラソルとEVE との確執についてはいろいろと知ってはいたし、私は個人的に手紙や葉書で他の赤十字病院のかなりの数の院長宛に、GHC との連携を勧誘していた。まるでシンパのように動いてはいたので、その立場からいうと大いに好ましいのだが、現実の問題となるとなにかすごく恐ろしい感じがする。
 今でも赤十字病院の中でもヒラソルのユーザーは結構残っていたし、厚生連関係等には根強い信者もいたようだ。どう収拾していくのだろう。
 しばらくは、興味と恐れと心配をもって見守りたい。

 明日から大雪とのこと。医療機能評価で埼玉まで出張だが、念のため朝の一番で行こう。夕方まで着けば良いのだが、なにしろ四人体制のサーベイだから、遅刻などというのは天災であろうとも許されない。

 夕方、孫たちが母親と来て夕食を食べて行った。購入したカメラを使ってみたが、特に動画を撮影するのは快調だった。良い買い物をした。望遠レンズを頼んで居るのだが、年内は無理なようだ。

休肝日ならず

2009/12/13(日)

 一日中雪が降っていた。寒くないだけが良かった。息子を送ったり、妻の買い物につきあったりして、あまり忙しくはない一日だった。この土、日は病院に顔を出さなかった。サボってしまった。工事は進んでいるのだろうか。多分、雪のために、ドクターヘリは出動はできなかっただろう。

 医療機能評価の準備をしたり、少し本をよんだりして過ごした。今日は 休肝日としようと思ったがやはり少しだが、ワインを飲んでしまった。明日は 必ず 休肝日にしよう。

眼科忘年会

2009/12/12(土)

 一日中雪。ただあまり寒くないのだけは助かる。どうもこれは根雪のようだ。
午前、午後と一歩も外へ出ず。来週の出張の荷物を大宮のホテルに発送した。

 夜は旭川医大の眼科学教室の忘年会。吉田学長の総務大臣表彰の祝賀会でもあった。旭川地区の病院の代表として、祝辞を述べた。変な事を口走ったらまずいので、原稿をあらかじめ用意した。良い機会なのでドクターヘリに関するもろもろのお礼も述べた。
 釧路労災のK院長に久しぶりにお会いした。おいしいワインをたくさん飲んだ。

 出かけるときタクシーが来ずに参った。雪が雨に変わっていた。明朝はきっと滑ってたいへんおことになるだろう。

 夜、  瀬戸内少年野球団  をみる。夏目雅子のきらきらとした美しさを堪能した。ああいう映画の篠田監督のうまさも相変わらずのものだった。

病院忘年会

2009/12/11(金)

 病院の互助会の忘年会。不況でボーナスも減額になったのにも関わらず400人になりそうな、多くの職員の参加があった。嬉しかった。
 ただ、道内の他の日赤病院の情報は私が得た範囲では、かなり恐ろしいものがある。現実に賞与が半分しか支給されない施設もでてきた。来年の年末が今から心配だ。日中、栗山の院長の訪問もあったが、かなり指摘があったらしい。いろいろと慰めたが来年は我が身かもしれない。現在進めている、経営改善プロジェクトが少しでも成果が上がることを期待したい。もう広域人事などは成立しないのではないだろうか。絵空事でしかない。

 昼、久しぶりに、医師会の連絡会議に出席。正月の予定の確認をした。年末、年始に予定がまた集中している。焼き肉と中華ということで魅力はあるが、病院の納会、年始めの会とみごとにバッテイングしている。

 午後、定年前に辞める看護師が挨拶にみえた。外来を含めて長いつきあいの人で少し感傷的になってしまった

四役会議

2009/12/10(木)

 朝の四役会議はいつもにも増して時間がかかった。まあ、今日の場合は仕方がない。大事なことがあった。その結果を、当事者に説明し、夜の診療部長会議でも私から話しをした。明日の忘年会の挨拶にも関連した事項を少し加えようと思っている。

 購入したカメラを何とか扱おうとしてもなかなかうまくいかない。説明書をじっくりと読むということができなくなっている。自分で情けなくなる。ここが踏ん張りどころだと思ってはいるが、、、

 清水建設の年末のご挨拶あり。後、一月のおつきあいになってしまった。長いようで短い感じがする.

 今日は珍しくドクターヘリに二度のお呼びがかかった。礼文島まで行って、稚内市立病院に搬送のケースと、近郊の温泉からも呼ばれたようだ。いずれも、当院までは搬送されなかった。こういうケースも多々あることだろう。当院で治療をしなければ、まったく収入が上がってこないというシビアな側面もあるのが現実ではある。

暮らしの手帖

2009/12/09(水)

 
 暮らしの手帳 の別冊で シネマの手帖 250本の名作ガイド を AMAZONで購入。AMAZON は確かに便利だ。時々、買いすぎてしまうが、、、今回も頼んで二日目には配本された。この本は懐かしく絶対 記述されている 250本を DVD で集めてみようと思った。読むだけで何か涙が浮かんでくる部分がたくさんあった。
 医局幹事から要求あり。事務部長と検討した。尤もな要求ということで、できるだけ早期に実現することにしたい。明日の四役会議でも話題にしてみたい。

 夜、医師会の夜間救急センターの職員の忘年会あり。管掌副会長ということで出席。忘年会はもういらない。ただ、会場は藤田観光ワシントンホテルの銀座だったが、座敷にいすとテーブルをいれてあった。
 これは嬉しかった。最近は座敷の宴会というのははやらない。せめて掘りごたつでなければ、帰ることにしている。
 二次会にはいかずにサボって帰宅。家に これも AMAZON を経由して  LUMIX GF1 が届いている。何とか孫の運動会等に役立てたいものだ。

根雪か

2009/12/08(火)

 朝から降雪。これで根雪になってしまうのだろうか。二つばかり考えねばならない事柄が起きた。そのうちの一つは、有る医師の行った行為に対して、非常に残念でいささか裏切られた感じがした。評価を見直さなければならない。まずは副院長から注意することにした。私の意志は、忘年会の挨拶等でそれとなく表すようにしよう。

 今日は特別な会議も無く、書類の整理に費やした。こういう一日もたまには良いだろう。歳末の挨拶が結構ある。自分も大学の医局を回るのだが、相手側は結構ストレスであることが分かる。注意しなければならないと感じた。

 夜、ちょっとした用事で孫たちが寄った。嬉しかった。

日赤会忘年会

2009/12/07(月)

 前回訪問した機能評価の資料を本部に送り返した。すぐ次の準備を始めなくてはならない。次の病院は100床以下で丸二日間という初めての経験だ。良い仲間だと良いが、、、

 日中は四役会議、医師会の決済、その他多忙。昼休みにようやく年賀状の裏を壱百枚だけ印刷することができた。

 夜は 日赤会 の忘年会。グランドホテルで開かれた。OBと現役との交流の会で、珍しい人々に会うことができた。しかし、憂慮していた、診療手伝いの依頼があった。私の一存では決められないという返事にしたが、さてどうしようか。事務部長にでもなかに入ってもらおうか。言ってはいけないことを口走ったら困るので、二次会には行かずに帰宅した。タクシーの中でまた、副院長から対応について熟慮すべき或る医局と病院間の人事について話をきいてしまった






ゆっくりとした日曜日

2009/12/06(日)

 昨日の疲れもあり。本日の札幌行きは中止した。興味のある講演会だったが、無理をしなかった。午前中病院へ。相変わらず、工事は最後の追い込みで病院中雑然としていた。月曜日またどう変わっているかをみるのが楽しみだ。機能評価機構の次のサーベイの資料が届いていた。まだ前回のけりもついてはいないのに。

 午後から雨。雪がつもるよりは良い。今週は忘年会が四回。体調に注意が必要だ。

孫の二歳の誕生日

2009/12/05(土)

 朝は久しぶりにのんびりとした。このホテルには温泉もあるが、寝間着ではいけないので、温泉に面倒で行かなかった。午前8時に朝食。10時にホテルをでた。札幌丸井で私のオーバー類を二着購入。その後は妻たちと分かれて自分で動いた。カメラを見直したりした。昼はいつもと異なる 八雲 でいつもの かもせいろ を食べた。チエーン店とは言いながら少しずつ何かが違うようだった。

 午後2時半の電車で帰旭。幸い妻は自信をもったようだった。

 午後5時に孫の誕生日祝いに息子の家に行った。札幌駅の大丸の地下の フルーツファクトリー で誕生ケーキを購入して持参した。
 下の孫は2歳になったが、急激にしゃべるようになった。これからも元気で育って欲しい。

院長・事務部長会議

2009/12/04(金)

 朝9時の電車で札幌へ。珍しく妻と義妹も一緒に出発した。私は11時半に札幌医大の精神科を訪問。いろいろとお願いしたが、当然のご返事しかいただけなかった。昼食は駅の構内で蕎麦。ここの蕎麦は少し高いがいろいろな産地のを食べさせてくれる。その後、カメラをみて歩いた。
 柏葉病院のK院長にも電話。よろしくお願いをした。

 午後一時半から、新装なった支部で院長。事務部長会議。いろいろと話題があったが、重要な事は無し。赤十字全国スポーツ大会を北海道で行うことは、何とか忌避しようということは一致した。午後4時半に三越で妻たちに会い、大通りに行き、電飾ツリーをみた。きれいだったが、規模は小さくなったようだ。
 その後一緒にプリンスホテルにチエックイン。わたしは6時からの懇談会に出席。これはいつものガーデンパレスで行われた。妻が居るので二次会には参加せず、おとなしくホテルに帰った。

経営改善プロジェクト

2009/12/03(木)

 昼からドクターヘリの格納庫の落成式があった。私たちの病院には土地がないので、旭川医大の土地を提供していただいた。また、建築費の半分以上にあたる5000万円を道北一円の55市町村から援助をいただいている。格納庫は必須ではあるが、いろいろと面倒な問題もある。たぶん冬の間は基地が旭川医大の敷地内になってしまうのではないだろうか。今日でさえ、羽が凍りそうだとか言っていた。まあ、そのあたりは柔軟に対処しようと思う。雪がちょっと降ったためか、二日に一度の出動が怪しいくらいだ。他の基地でも同じような傾向だとはいうが、、、学長・病院長の欠席も本当は少し気になった。

 経営改善プロジェクトあり。今までとは違った視点で病院の経営を考えるのは必要だ。BSCの考え方も導入されている。私自身にとっても非常に有益だ。その後管理会議もあり。終了したら遅くなり、医師会の理事会には出席できなかった。

 夜、 ピクニック をみる。懐かしい。キムノヴァク の匂うような美しさは記憶のままだった。最後のバスと貨物列車との俯瞰映像はやはり印象的だった。

二日酔い

2009/12/02(水)

 何となく二日酔い。こんな事は珍しい。朝、自分の車の運転は差し控えようと自制が働いたくらいだった。それでも病院にでると落ち着いた。こういう日に限って、いろいろと相談事があった。
 夕方、釧路の事務長と院長の訪問有り。大学に挨拶回りの時間が余って寄ったらしい。いろいろと情報の交換をした。
 機能評価の評価表をリーダーに送った。この時期がいつもいやだ。何か自己嫌悪に陥ってしまう。
プロフィール

satoshig

Author:satoshig
 2012年4月から旭川赤十字病院の名誉院長 しております。
 現在の仕事のメインは同院の 常勤嘱託医師(検体検査管理加算Ⅳに該当する検査部門担当) です。
● 医療機能評価機構サーベイヤー
● 卒後臨床研修評価機構サーベイヤー


としての仕事も楽しんでいます。

 旭川赤十字病院には、1970年5月 から勤務し、副院長10年、院長を9年間 勤めさせていただきました。
 1966年北海道大学医学部卒業  もともとは脳神経外科医

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