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LAWSON と タリーズコーヒー

2009/03/31(火)

 午後1時半から、LAWSON の開店記念式典。続いて、2時半から タリーズコーヒー のやはり開店記念式典があった。同時に 今は廃校になった旭川赤十字看護専門学校の同門会である 桐友会 から寄贈された、自動ピアノ の披露もされた。

 病院にとっては、嬉しいことだが、営業は大丈夫だろうか。自分の病院の経営も勿論だが、人の施設の経営まで気になってしまう。ターリーズは午後3時から3時間ほど、本格稼働の前の営業を開始した。職員が結構コーヒーを飲んでいる。毎日となると大変だろうが。良い事だと私は思うことにしている。明日は報道機関の取材があるとのこと。これも好ましいことだと思っている。

 私の部屋に、レンタルの植木が入った。大きなものだが、結構さまになった。少し我が儘を言って良かった。




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四役会議

2009/03/30(月)

 転居後、初めての四役会議。院長室で行った。以前は院長室を使っていたのだが、ソファに座って行うと腰が痛いのと、どうしても機能的でないので、事務長室に何年か前から変更していた。
  今度の院長室はソファも会議用の机も椅子も設置したので、、開催場所を変更してみた。しかし、やはり不便なようだ。会議の途中で事務の課長を参考に呼んだりすることがあるのだが、わざわざ廊下を渡って、来てもらわないとならない。次回は試しに、事務部長室を使ってみることとした。
 再開する分娩料金の決定や明日のLAWSON と タリーズ の開店記念式典の予定が話された。勿論、4月1日の入社式の予定の確認もした。

 引っ越しの荷物の整理はどうやらできた。段ボール箱は全部無くなった。しかし、窓の外の景色はわれわれの病院の渡り廊下のタイルの壁のみだ。景色とは言えるものだはない。何とも殺風景で、緑の樹木を一鉢手配してもらうことにした。本棚に本は並べたが、改めて又廃棄処分するものを選んでいる。半分くらいには減らすつもりだ。

 医療機能評価に前回のサーベイの関係書類をようやく送った。次回は5月の末だ。

 ドクターヘリの格納庫の仮の見積もりがでてきた。私が予測していたよりもかなり高価なようだ。これも仕方がないが、私たちの病院のこれからの発展に寄与することを願うのみだ。大学との微妙な関係もいまだに、頭が痛いが、、、



荷物の整理

2009/03/29(日)

 9時に家にいる下の息子と一緒に病院へ。皆は昨日で終わったのか管理棟のところにはあまり職員はいなかった。ただ看護部が熱心に整理していた。幸い、電子カルテと外線の電話、院内LAN については昨日午後私が退出してから、誰かが設定を完璧に行ってくれていた。助かった。午前中でできることは、ほぼ終わった。後はゆっくりまだ廃棄するものを決める必要がありそうだ。

 自分の机、ソファー、会議用の机と椅子をいれてもまだ少し余裕があり。何か緑が欲しい感じがした。今回は部屋の中の整頓を徹底したいと願っているが、これも性格の問題だからうまくいくかどうか。
 外の景色は全く期待できず。ただ渡り廊下の窓が見えるだけ。そこまでは考え無かった。

 1日の話をする準備を大車輪で行わなければならない。明日の晩はTDLへ遊びに行った孫も帰ってくるし、明日日中しか時間がない。




院長室引っ越し

2009/03/28(土)

 今日は、院長室を初め管理部門や医局の引っ越し。
 朝7時に病院へ出た。もう何人かが登院していた。自分の部屋の引っ越しということで、少し自分の荷物を運んだが、結構疲れてしまった。病院の職員が、段ボール箱と机等を運んでくれた。何とか部屋には納まったたが、明日もう一度行って本棚に本などを並べる必要がある。
 
 外線もインターネットも電子カルテもまだ繋がっていない。手足をもがれたような感じがする。帰る時点では医局はまだ机の搬入も修了していない。これは二日がかりになるようだ。


 12時に帰宅。軽く昼食を食べてロワジールホテルへ行った。旭川市医師会の代議委員会と総会があった。私は事業報告とドクターヘリの話をした。準備不足であまり上手にはできかなかった。
午後5時から、懇親会だったが、下の孫が息子と家に来ているというので、サボって帰宅した。孫と遊んだ。可愛くて可愛くてたまらない。なめ回してしまいたいくらいだ。

 今日は北大脳神経外科教授と札幌医大麻酔科教授の退官記念祝賀会が札幌のホテルで開催されている。私は両方とも祝電で我慢した。明日また院長室の荷物整理に行かなくてはならない。



腰が重い

2009/03/27(金)

 朝起きたら腰が重かった。痛いというのとは少し違うが心配になった。考えた末、本日の札幌への出張は中止とした。ドクターヘリの連絡会議の第1回なので、悪いとは感じたがしようがない。明日からの行事に差し支えたら大変だ。

 午後、医師会の連絡会議。I Dr.とは最後の会議だった。帰院後、新しい部屋に少しものを運ぼうかなとは思ったが、医局の引っ越しで廊下が混んでおり、競合するので止めにした。

 業務連絡会議あり。今後の工事の予定を説明した。一時的な騒音に対して職員の強い理解を求めた。間違っても患者さんと一緒になって ”煩い”などと騒いではもらいたくないものだ。


 LAWSON と タリーズコーヒーの社員教育が始まっている。なんとなく華やいだ感じが漂って良いものだ。考えてみたら、病院の新人教育よりももっと長時間をかけているようだ。営業成績がどうなるかは関係がないと言えばそうだが、ちょっと心配な気持ちもする。

 次年度の臨床研修医の国家試験の発表があった。医科で一人、失敗があったが、他の医師、歯科医師は無事合格した。まあ良かった。

 今日は上の孫の誕生日。隣家の義兄たちに、TDL に遊びにつれて行ってもらっている。夜、それでも感心に電話をよこした。楽しんでいるらしい。







東京→札幌→旭川

2009/03/26(木)

 朝、5時のモノレールに乗った。なんと混んではいないが、適当な数だけ人がのってきた。空港もそれなりに混んでいた。ちょうど学校が休みになったせいか、小学生が多かった。
 
 千歳空港から札幌への電車はなんだか知らないが、座席が後ろ向きしかなく、Uシートを利用した、これは進行方向を正しく向いていた。
 10時に安田侃の彫刻の所で待ち合わせて見学へ出向いた。鉄道病院では、建物を壊すところの実際をみた。いろいろと面倒だが避けてはとおれない。鉄道病院の中も見たが、これは少し安っぽい感じがした。これは我々の病院の方が良いと率直に思った。売店がキヨスクだったのが、当たり前だが少し驚いた。

もう一カ所、地下の建造物を破壊するときの音と振動を実感した。隣接する後楽園ホテルの地階までいって、確認した。振動はやはりあるようだ。ホテルからは工法の変更を申し込まれたとのことだが、我々の場合は、自分たちの病院の工事だから我慢できるのではと思った。

 とにかく正面部分の傾斜は残すべきではないと思った。これから何十年のことだから、職員その他の理解を得るよう努めるべきだ。

 1時半の電車で帰旭。ちょっと家に寄って着替えてから病院へ。5時半から臨床研修医の修了式。今回は6人が修了した。その後軽食でのお祝いの会を開いた。飲まないようにしつつやはり飲んでしまった。

 明日も札幌出張がある。ドクターヘリの主管病院のはじめての連絡会議が開催される。一回目くらいは行かなくてはなるまい。ただ、連絡会議だけで、夜の搬送症例の検討会等は帰ってくるつもり。明後日の引っ越しが気になる。



院長連盟役員会

2009/03/25(水)

 午後から再び本社で院長連盟の役員会が開かれた。大きな問題はなかった。ただ、四月の臨時総会の役割分担を取り決めた。研修医の研修会の細目の了承をした。札幌には何人の出席があるだろうか。5月の東北・北海道の院長。事務部長会議の案内をそろそろ出さなくてはならない。演題の募集もまだきていないが。

 夜、役員慰労会あり。比較的に早く終了して助かった。なにしろ明日は6時半の飛行機に乗らなくてはならない。





東京

2009/03/24(火)

 朝の一便で東京へ。旭川も雪だったが、東京も寒かった。幸い雨は降ってはいなかった。本社の庭に桜が咲いていた。きっと早咲きのものだろう。会議は珍しく早く4時には終わった。会議の内容は目新しい物はなかった。
赤字の病院が半分ということで、黒字の病院が半分あることの方が信じられなかった。

A先生にあって今後の相談をした。臨床研修医指導医養成の講習会はやはり6人一組の4組は必要とのこと。これはオープンにするしかないようだ。オープンにして他院の人を集めることができるのは札幌、釧路、旭川のどこだろうか。まず開催地の選定が難しいものだ。

 今回の宿泊は、三井ガーデン汐留。定宿の一つだ。とにかく本社から近い。温泉ではないが、大浴場がある。部屋が機能的だ。初めは品川プリンスと思ったが、やはり仕事がし易い方を最後には選んでしまった。

 夜予定通り 品川プリンスの七竈で弟夫婦と会う。甥もきて賑やかだった。甥には彼が幼児のときにあっただけなような気がする。今度は姪にもあってみたいものだ。せっかく旭川空港で数量限定で買ったジャガポックルを浜松町の駅のコインボックスにいれたまま忘れていたので、帰りに甥に送ってもらいつつ渡した。

 年をとったせいだろうか。弟にはたびたび会いたいと思うようになった。今度は逗子までいって見ようと思う。鎌倉にでも泊まれば良いはずだ。




医局送別会

2009/03/23(月)

 午前11時に増改築の定例会議あり。正面玄関の段差とその結果としての斜面の説明があった。業者の方の話では一月ほど、おおきな騒音をがまんすれば、平坦にできるとのこと。長い目でみれば、少しの辛抱はするべきだと思う。いかに音が大きいかを札幌の同様の建築現場で体験することになった。木曜日ということで私も東京から直接札幌へ入ることにした。旭川の飛行場で春休みを利用してTDLへ行く孫とすれ違うという楽しみは無くなった。

 午後1時から、改築部分の引き渡し前の確認を行った。予測していたよりもはるかに良くできている。嬉しかった。

 夜、グランドホテルで医局の送別会。眠くて参った。朝、1時から起きているのだからあたりまえか。今回はあまり辞める人数は多くはなかった。

札幌の葬儀へ出席

2009/03/22(日)

 夕べはかなり飲んだが、当然3時ころには目が覚めた。寝る前に酒を飲むと熟睡できるようだ。

 朝、6時25分にタクシーの迎えを頼んでいたが、10分前には来ていたのでそのまま駅へ行った。当然のごとく電車は空いていた。6時45分の電車で札幌へ。札幌は気温は高いのだが、相変わらず風が吹いていた。葬儀場には都合1時間はいただろうか。喪主が私のことを良く覚えていてくれた。私がまだ30代の前半、彼が高校生の時の話ではあるが。私は全然記憶になかった。母君は良く覚えているのだが、、、

 岩見沢から向こうは殆ど積雪がない。滝川あたりよりも旭川の方が雪が残っているようだった。帰旭後、ヤマダデンキと生協への妻の買い物につきあった。

 ドクターヘリのレクチュアーの準備で、本を読んだり、ネットで調べたり結構勉強になった。
 今週の出張予定が確定しないで困っている。火曜日の医管調会議は絶対出席しなくてはならない。その夜は、弟夫婦と品川プリンスで会うことになっている。水曜日の予定がまだ不確定だ。院長連盟の役員会があり、欠席できるかと調整したが、うまくいかない。病院の方の予定もはっきりとはしていない。月曜日中にはどちらかに決めなくてはならない。



結婚記念日

2009/03/21(土)

 今日は私たちの多分39回目の結婚記念日に当たる。孫たちがきてくれた。二人の孫と遊ぶ事を堪能した。私は孫と遊べるということだけで満足だ。いくらわがままを言おうが、いくらうるさかろうが、私の孫に対する許容範囲はとてつもなく広いようだ。自分でも少しは自覚している。
 
 長男を白血病で死なしたことが、今でも私にとってはトラウマで残っている。それを克服しようという気持ちは全く無い。それを批判する人に対して、直そうという気持ちを表すこともない。その立場になった人しか判らないことだ。

 夜は、小学校一年の孫の希望のとおりに、回転寿司に行った。私はおいしかった。おいしいと思った。孫は張り切って、紙に注文を書いたりしていた。下の孫はおとなしかった。

 機能評価のサーベイのリポートを期限ぎりぎりでようやくメールで送った。いつもうまく書けず、自己嫌悪に陥る。辞めたいと思うが少なくとも、我々の病院の再受審にはおおいに役立つと思って我慢することにしている。

 明日は、朝早く出発で札幌へ。9時からの葬儀に出席する。



2009/03/20(金)

 一日中家でレポート作り。どうやらほぼ出来上がった。今回はサーベイヤーが4人体制の病院規模なので、書くことがいつもの2倍ある。その代わり、医師がサーベイしなければならない箇所は全部網羅するので、自分の病院の受審時には役立つことになる。明日、もう一度見直して、メールで送ろう。

 午後、一時間ほど小学校1年の孫が寄って行った。その時間少し休憩して相手をした。すっかり言うことが大人くさくなっていた。実は明日は私たちの39回目の結婚記念日だから、ホテルにでも皆で食事に行こうかというと ” グランドホテルは高いから、回転寿司でいいよ” と言われてしまった。いったいなにを考えているのだか、、、

 機能評価のレポートを送ったら、二つまだ宿題が残っている。来週末の旭川市医師会の代議委員会で ドクターヘリについて、簡単にレクチュアーをしなければならない。4月1日の入社式後のオリエンテーションでも45分間、しゃべる準備も必要だ。



訃報

2009/03/19(木)

 四役会議は種々の話題が出て、長くかかった。昼食は久しぶりの検食。午後から部屋の引っ越しの準備。まあ9割方できあがった。どうやら目途がついた。しかし機能評価の報告書の方は全くできあがってはいない。土曜日が締め切りだが、ぎりぎりまで金、土と頑張るしかない。札幌へ病院経営の講演会へ出席の予定だったが、とても行けそうにはない。

 突然、釧路の名誉院長の訃報が入った。旭川にもおられた事がある方だ。私が初めて旭川に来たとき、病院の住宅が向かい合わせだった。やはりいろいろと思い出があるものだ。まだ40代の後半だったのだろう。今の私など若い人がみたらどうおもうのだろう。些か恐ろしくなった。、
 院長連盟としての対応の書類が段ボール箱の中に入ってしまっているために、判らず困った。いまのところは私が日曜日の朝、院長連盟を代表して、告別式に列席することにした。とても土曜日に札幌までは行く余裕がない。

 夜は、医師会。四月からの予定がいろいろともう入ってきた



診療部長会議

2009/03/18(水)

 午前中、昨晩の団交の後の対策の相談。幸い事務部長とは対応の方向が同じだった。安心した。看護部の配置換え等の報告も受けた。HCU の看護師の人数が多い。入院を増やしてもらわなければならない。

 午後、清水病院の院長が来院。種々の話をした。夜は診療部長会議あり。当直の件で当然いろいろと意見がでた。しかしまあまあの方向に動いてくれそうだ。

 この会議が長引いて、医師会の会議に遅れた。電話したらもう終わりそうだというので勘弁してもらった。




2009/03/17(火)

 午前中に下の息子に応援して貰って、院長室の本類を箱詰めをした。途中、来客等で何度か中断したが、幸いにしてかなりできあがった。足の踏み場も無い状態になってしまった。週末の連休で何とかできる目途が立った。

 お産を再開することで、数社から取材を電話で受けた。何か相手側が間違った先入観を持っている感じがした。

 団交あり。その後医師会の理事会。その後来期の副会長三人で体制と理事の割り振りについて食事をしながら相談した。

引っ越しの準備

2009/03/16(月)

 朝の医局の連絡会議は、今回で現医局での開催は最後となった。この次は新しい医局で行うことになる。新しい医師、研修医も来るし、診療の体制はどうなるだろう。相変わらず新入院の数が減少している。
市立病院の院長からのメールでも同じことを言ってきている。新年度に入ったら抜本的は改革が必要だろう。うまい案ができるだろうか。

 四役会議は先週、私が不在をしてしまったために、木曜日はスキップしていた。そのためもあって、今朝は話し合いをすることが沢山あった。申し訳無いと思う。会議の後に、救急玄関の施錠、解錠の方法について、現地で相談もした。
 
 引っ越し用の段ボールが届いた。医師会の決済をしてきた後で、少し本を箱の中に、入れてみたが、これは腰が痛くなる。今まで5年間本棚に並んでいただけの本を、新しい部屋に運ぶ事が必要かどうかをもう一度考えてみよう。
息子にでも手伝って貰わなければ、これは大変だ。

 今週中に医療機能評価のサーベイの報告を仕上げなければならないし。この時期が  もう行くものか と一番思う時だ。


ダイエット開始

2009/03/15(日)

 朝起きた時とにかく疲れが直っていない感じだった。外は吹雪いていた。今日は本当は札幌で道医師会の代議委員会だった。しかし、どうせ土曜日は欠席したことだし、今日も欠席とした。Y 副会長の携帯に電話して連絡した。

 昼頃、病院に行った。留守中の手紙とメールの確認をした。機能評価から5月末の新潟の予定が入っていた。そんなときに可能という連絡をしていたかなと思って調べたら、一日だけ可という連絡をしてしまっていた。一日というのは中日をさすので都合3日ということだが、、、

 後は生協の買い物につきあって、コンサドーレのサッカーをみた。スカパーが無料で開放というのでみたが、画像が不鮮明で参った。コンサドーレは勝ことは勝ったが、内容は負けた前回の試合の方が良かった。やはりこれは前途多難のようだ。

 この一週間で太ってしまった。ダイエットをがんばらなくてはならない。



サーベイ終了

2009/03/14(土)

 今回のサーベイは終了した。私としてはいろいろな面で参考になった。相手の病院がどう思ったかは別の問題だ。昼には終了したが、結局は東京へは時間がかかって早い便には乗れなかった。
 駅前の先日の店で、もう一度牡蠣のフライを食べた。やっぱりおいしかった。又ダイエットを始める必要がありそうだ。医療機能評価機構のサーベイでは夕食がいつも遅く、寝る直前になってしまう。仕方がないが体重が増える原因だろう。

 旭川空港は真っ白だった。なんだか不公平だ。

 明日は、本当は道医師会の代議委員会。すっかり疲れてしまって、さぼりたい心境だ。せめて午後からで勘弁してもらおうかとおもっている。



二日目終了

2009/03/13(金)

 サーベイとしては辛い二日目が終了した。

 幸い,OJTの方が優秀でかなりの部分を分担してもらうことができた。さらにこの病院では電子カルテがスムースに動いていて、ケアプロセスの二例目が楽だった。電子カルテの時代になったら、三カ所も病棟を回る必要があるのだろうか。ただここの電子カルテは東芝だった。確かに大規模病院のシステムは作れないということになってはいたが、スムースに動いている。ちょっと私としては複雑な心境だった。

 今から10年以上前だが、オーダーリングで東芝とともに苦労したことを本当は思い出した。心中の相手に逃げられたような感じかもしれない。といって、今の富士通に不満があるわけでは無い。

 夜の結果を打ち合わせは午後9時過ぎまでかかった。これが8時ころなら疲れがうんとすくないのだが、、、天気が悪いのでホテル内の居酒屋で夕食。いろいろと明日、再度確かめることが多く気にはなったが、おつきあいして飲んでしまった。明日の朝は早起きして頑張らねばならない。

 幸い腹の調子は改善したようだ。とにかく良かった



サーベイ第一日

2009/03/12(木)

 朝10時にチエックアウト。横浜経由で目的地に着いた。連絡がうまく届いていないのか、チエックインができないで、駅の周囲をぐるぐるとあるきまわって時間をつぶした。食べなくても良い昼食をとる羽目になった。ただ駅前で食べた、牡蠣のフライはとびきりおいしかった。最終日にまた食べたいと思った。

 少し下痢気味が続いている。私はもともと下痢とは縁が遠いのでちょっと気になった。孫の保育園で集団とまではいかないが数人発症しているらしい。今回は孫とはあまり接触はなかったが、本当は少し私も危ないかもしれない。これ以上に悪化しないことを願うのみだ。

 仕事の一日目は無事に終了した。四人体制というのはやはりすることが多すぎて辛い。ただ、OJTの方が、経験者で助かった。少し仕事の分担ができそうだ。



女満別→東京

2009/03/11(水)

 朝食はもったいなかったが食べず。朝風呂はきもちが良かった。やはりこのホテルすばらしい。
8時50分のバスで女満別空港へ。意外に近かった。空港で鮭のちゃんちゃん焼きを注文した。これはおいしかった。

 東京は暖かく、本社の仕事がすぐに終わったので、その後に 浜離宮 に行った。新聞で菜の花が奇麗だと掲載されていたのを思い出した。菜の花もすばらしかったが、梅も満開だった。多分 牡丹の時期もきれいなのだろう。 六義園 とか 上野公園 とか東京はやはりすばらしい都会だ。

 今夜の宿泊は アートホテルズ大森。コストパホーマンスはここが一番のようだ。

 夕食はバイキングだが含まれているので午後6時から利用した。結構な内容の夕食だったが、ガラガラとすいている。これでは採算がとれないのでないだろうか。以前はもう少し利用者が多かった気がするが。

旭川→北見

2009/03/10(火)

 昨晩、送別会の帰途、タクシーの中から少し調子がおかしく、夜中に3回下痢をした。ただ吐き気は全く無く、ノロとは考えられなかった。札幌行きは不安があって中止とした。

 11時の列車で当初の予定とおり、北見に向かった。腰のことも考慮してグリーンにしたのだが、思いがけず混んでいた。宿泊はいつものピアソンホテル。ここには温泉があるので北見の定宿にしている。

 支部の次長とあって、いろいろと話をした。まあ。目的はたっした。夜遅くなってから、本社の副社長が空路こられて、ベルクラッシクホテルで夕食会があった。そのころにはすっかり両者ともできあがっていた。
 学長に明日早く東京にいくことを謝っているうちに、入学式には絶対でることを約束させられた。北見日赤を訪問することも約束してしまった。尤も北見日赤病院の院長とは、勤務評定の話をしないとならないのだが、、、


送別会

2009/03/09(月)

 四役会議の後で、同じメンバーで改築中の現場の視察をした。想像していた以上にできあがっていた。本当は院長室が少し広すぎるのを気にはしているのだが。
 今月末の引っ越しが楽しみだ。今の自室の本の整理は順調に進んでいる。きっと、本棚の半分は空いてしまうかもしれない。この5年間一度も開iいたことがない本をこれから開くことはあり得ないというスタンスで選別している。

 今日は来客が多い。銀行、メーカー、保健所等々。散らかっている部屋で応対するのは些か気が引けるが、しようがない。

 夜、清水日赤に転勤する診療部長の送別会あり。多くの職種から多くの職員が参加した。彼の人望があるのだろう。私も嬉しかった。そういえば南幌町の合併に関する住民投票は反対が多かったらしい。これはある赤十字病院におおきな影響がある。推移をみまもりたい。

 ある診療部長の父君が亡くなられたということで、明日は札幌の葬儀に出席しなくてはならなくなった。葬儀のあと千歳空港から女満別というルートを予定しているが、少しからだに無理がかかりそうだ。確かにもう若くはないのだから、少し気をつけ無ければならないだろう。

 一歳の孫の保育園でいよいよノロが発症とのこと。孫も実は下痢をしているが、これは違うと思うが、、、閉鎖になってしまい、義兄のところへ日中世話を頼むようだ。


コードブルー

2009/03/08(日)

 昨日とは打って変わって好天。気温も高かった。昼に妻の買い物につきあった。午後からコンサドーレの初戦をテレビで観戦。負けたが J2 ではそこそこやれる感じだ。三位以内にはいるかは微妙なところだろうが。

 ドクターヘリが当院が主管病院となって、活動し始める。皆がよくいう、いや孫さえも観ていた、コードブルー というテレビ映画の DVD を購入した。なかなか面白い。私も乗りたくなった。本当は臨床を何年もしていないし無理は判っているが。自分の中にそういう気持ちがまだ少し残っていて嬉しくなった。

 刑事ジョンブック を何年かぶりで見直した。これはやはりすばらしい愛の映画である。確かに脚本も良いのだろうが、隅々まで監督の意識が行き渡っている。大麦の揺れる穂、ふとしたまなざし。どれも感激した。私の選ぶ10本の映画に確実に入ると思う。

今週は、火曜日から北見、東京、神奈川へと出張だ。



脳神経外科教授退官

2009/03/07(土)

 一日中、地吹雪で大変な天気だった。バーサー大会があり、私は救護部長かなにかに当たっていて、顔をだすつもりだった。しかし、行くには行けても、きっと帰りのタクシーなどは手配ができそうもない天気で諦めた。

 夜、グランドホテルで、旭川医大脳外科の教授の退官記念祝賀会。私がまだ脳外科医であったころ、旭川医大から派遣されてきていて、私と一緒に仕事をした仲間に出会った。懐かしかった。

 今年は私の出身医局の北大脳外科教授も定年で、北大の教授戦、旭川医大の教授戦の状況をきいた。北大は私の母校だが、当院への影響はあまりない。北大教授の退官記念の会にも当日は医師会の総会があって、私は参加できない。
 しかし、旭川医大の教授後募集要項には脳血管障害という項目が入っているとのこと。
 私たちの病院のライバルとなってしまう。無縁とはなりえないわけだ。二次会がホテルのバーでありそれにも参加した、


業務連絡会議

2009/03/06(金)

 午前中事務部長と将来の病院像をいろいろと話合った。有益であった。来週、支部の事務次長に会う機会があるので、うまく話をしてみよう。間違っても裏目にでないよう気をつける必要はあろそうだが、、

 昼に医師会の連絡会議に出席。昨今はいわゆる端境期で、あまり重要な案件はなかった。私個人としては、夜間急病センターの体制についておおきな危惧を抱いていることは皆に説明しなければならない。まあ、医師会のためだけに、身を粉にすることもないが、、、

 業務連絡会議あり。新年度に入ったら、各職場の集会に私を呼ぶことをお願いした。職員全てに病院の現状等を説明する必要がある。不況が続いているが、病院だけは別物だと思い込んでいる職員がたくさんいそうだ。

 

乗り越し

2009/03/05(木)

 四役会議はいろいろと話題があった。しかし11時で切り上げて、札幌へ。11時半発の電車は混雑してはいなかった。
 支部で人事の委員会有り。人事の話以外にいろいろと話合われた。赤十字病院の経営のあり方について考えさせられた。血液センターの経営は順調らしい。勿論センターは統合とか集約とかの経営努力が十分されている。

 一緒の会議に出席した小清水の院長と駅の地下で少し飲みながら、相談があった。5時半の気動車に間に合った。稚内行きでちょっと危ないなと心配ではあった。6時の旭川行きが安全かなとは思った。

ここ数日非常に睡眠が不規則で、眠ってしまわないかなと思った。案の定深川を過ぎて、後10分くらいで旭川につくというトンネルに入る頃に、睡魔に襲われた。気がついたら、旭川を超えて、比布のあたりだった。
 和寒で下車。内緒だけれど、無人駅で乗り越し料金を払う機会が無かった。その駅前から、タクシーを使って帰宅した。酔っぱらっていたら、あっさりと札幌に泊まるつもりだったのに、、、気をつけて飲んだのが裏目にでてしまった。タクシー代 10250円 のほうが宿泊費よりは高くなってしまった。

今度は腱鞘炎

2009/03/04(水)

 朝から好天気。雪もかなり溶けたようだ。久しぶりに事務部長といろいろと話合う。有る職員の給料の話、ドクターヘリの件、産科再開の件、かなりの内容だった。

 小児科医と面談。できるだけ希望に添うようにしたい。本当に久しぶりに院内を回った。今週中にもう一度病棟を回って見たい。腰は全く問題がないようだ。

 臨床研修医の赤十字としての研修会の件は、札幌で開催ということになった。まあアクセスを考えると仕方がない。私たちの病院を宣伝する良い機会だととらえていたのだが、、、終了後、オプションで旭川ツアーというのも考えられるが、片道80分の往復はなかなか難しいものがあると思う。これが東京へ帰るのなら簡単だが、、、

 引っ越しに際して必要のない本や書類をシュレッダーにかけるときにやはりバラバラにする必要がある。要するに 裂く という動作が必要だ。これが、左手首の腱鞘炎を起こすようだ。ようやく腰が治ったのに今度は腱鞘炎は願い下げだ。

胃の検査

2009/03/03(火)

 病院の年二回の健康診断。胃バリューム検査ということで、昨晩から絶食。検査は無事終了したが、この検査の意味はあるのだろうか。何かただレントゲンを浴び続けたような気持ちもする。今後は胃カメラそれも鼻腔からの検査を考慮した方が良さそうだが。

 少しずつ、部屋の本を廃棄処分をし始めた。脳神経外科の本はまだ価値があるんだろうか。、病院の図書室に寄付することにした。きっと本当は迷惑だろうが、この5年間一度も開いてみたことがない教科書ばかりだ。

 ドクターヘリに関して、医大と話し合いが始まった。格納庫の建設は医大敷地でOKのようだ。まあ、良かった。早く運行会社の決定と格納庫の見積もりを立てることが必要だ。時々督促の必要がありそうだ。

 夜、医師会理事会。ここでもドクターヘリの経過については説明した。

3月

2009/03/02(月)

 前回の機能評価のサーベイの資料をようやく送り返した。するとすかさず、次の資料が届いてしまった。かち合わないで良かった。少なくとも混じり合うことはなかった。次回は少し面倒だ。久しぶりの4人体制だ。それに OJT の方の指導もある。

 いよいよ3月で、今月は忙しい。院長室の引っ越しの準備をしなくてはならない。思い切って本を捨てるつもりではいるが、、、、どこまでおもいきれるか。

 午後~医師会へ。先週の決済をしていないので、その仕事。毎週金曜日の昼に幹部が集まって決済と連絡会議を開催しているが、どうも私の出席率は70%強ではないだろうか。迷惑をおかけしている。サボっているわけではないのだから、しようがないのだが。

 入社式とその後の辞令の交付について相談有り。
プロフィール

satoshig

Author:satoshig
 2012年4月から 旭川赤十字病院の名誉院長 となりました。
 現在の仕事のメインは同院の 常勤嘱託医師(検体検査管理加算Ⅳに該当する検査部門担当) です。
● 医療機能評価機構サーベイヤー
● 卒後臨床研修評価機構サーベイヤー


としての仕事も楽しんでいます。

 旭川赤十字病院には、1970年5月 から勤務し、副院長10年、院長を9年間 勤めさせていただきました。
 1966年北海道大学医学部卒業  もともとは脳神経外科医

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